挨拶(読み)アイサツ

デジタル大辞泉 「挨拶」の意味・読み・例文・類語

あい‐さつ【挨拶】

[名](スル)《「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと》
人に会ったときや別れるときなどに取り交わす礼にかなった動作や言葉。「挨拶を交わす」「時候の挨拶
会合の席や集会で、改まって祝意や謝意などを述べること。また、その言葉。「来賓が挨拶する」
相手に対して敬意や謝意などを表すこと。また、その動作や言葉。「転勤の挨拶」「なんの挨拶もない」
(「御挨拶」の形で)相手の非礼な言葉や態度を皮肉っていう語。「これは御挨拶だね」
やくざや不良仲間で、仕返しをいう語。
争い事の中に立って仲裁すること。また、その人。「挨拶は時の氏神」
応答のしかた。口のきき方。
「馴れたる―にて」〈浮・一代男・二〉
人と人との間柄。仲。
「中川殿とこな様との―が」〈浄・五枚羽子板〉
[類語](1回礼自己紹介/(2演説弁論言論遊説立会演説街頭演説スピーチテーブルスピーチ

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精選版 日本国語大辞典 「挨拶」の意味・読み・例文・類語

あい‐さつ【挨拶】

〘名〙 (「挨」も「拶」も押すことで、複数で「押し合う」意から)
① 禅宗で、問答によって、門下の僧の悟りの深浅をためすこと。→一挨一拶。〔文明本節用集(室町中)〕
② 手紙の往復、応答のことば。
※上杉家文書‐(年未詳)(室町)一二月一六日・長尾景誠書状「左衛門大夫進退之事、度々申籠候之処、于今是非之挨拶者無之候」
③ 交際を維持するための社交的儀礼。
(イ) 人と会った時、別れる時などに取り交わす儀礼、応対のことばや動作。
※虎明本狂言・眉目吉(室町末‐近世初)「某が子ながらも、さかしひやつじゃほどに、云におよばぬ、心得てあひさつをせひ」
(ロ) 応答。受け答え
※寸鉄録(1606)「口ばかりにてあいさつえしゃくよく」
(ハ) 社交的な応対。ふるまい
※申楽談儀(1430)猿楽常住の心得「人のあいさつ大事なるべし」
(ニ) 儀式、就任、解任などの時、祝意、謝意、親愛の意などを述べること。また、そのことば。
※落語・出世の鼻(1892)〈禽語楼小さん〉「源兵衛澄し込んで手札を認めて近辺へ挨拶(アイサツ)に出掛けた」
(ホ) 発句または連句において、主人または客が、相手に対する儀礼、親愛の気持をこめて句を詠むこと。
※浮世草子・好色万金丹(1694)三「つむりつき玉のやうなぞ素露(しろきつゆ)となん挨拶(アイサツ)すれば」
(ヘ) 花柳界で芸妓などが、客席に顔を出し、すぐ他の席へ行くこと。〔かくし言葉の字引(1929)〕
(ト) 皮肉や悪意をこめた応答。→御挨拶(ごあいさつ)②。
④ 人と人との関係が、親密になるようにはたらきかけること。
(イ) とりもち。仲介。紹介。世話。
※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「夫婦最前の薬師(くすし)を念に思ひ、あひさつせし人に面目かへり見ず頼み」
(ロ) 仲裁。調停。とりなし。
※浄瑠璃・八百屋お七(1731頃か)中「俄に不仲な様子をば聞てさりとは気の毒故、どふぞあいさつ致さうと」
※浄瑠璃・国性爺合戦(1715)唐船「仲人もない、挨拶ない、二人が胸と胸とに、起請も誓紙もおさめて有る」
⑤ 人と人との間柄。両者の仲。交際。付き合い。
日葡辞書(1603‐04)「Aisatno(アイサツノ)ヨイヒト〈訳〉客あしらいのよい人。または気の合った仲間」
⑥ 仕返しをいう不良仲間の隠語。〔隠語全集(1952)〕
[語誌]中国語の原義は、前に在るものを推し除けて進み出る意であるが、禅家において、問答によってその力量を測る意の語として用いられ、更に、問答ではなく言葉のやりとりと語義が変化して、②以下の意味の用法が派生したものと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「挨拶」の意味・わかりやすい解説

挨拶 (あいさつ)

人と人とが出会うとき,言葉や身ぶりのなんらかの儀礼的交換があるのがふつうである。いまデュルケームの宗教社会学の概念を借りて(《宗教生活の原初形態》1912),それらを〈消極的儀礼negative rite〉と〈積極的儀礼positive rite〉に分けることができるであろう。相手にみだりに近づく意図がないことを伝える接触回避のしぐさが前者である。古来中国では,目上の人の前は小走りに通るのが礼とされた。また,西洋人が遠距離からする目礼は,こうした接触回避の意図をいわば積極的に伝えるものであるといえよう。次に後者の積極的儀礼であるが,いわゆる挨拶表現はこれに属する。言葉と身ぶりがともに交わされる場合が多いが,ここではそれらを別に分けて考えてみることにする。

 挨拶の言語表現には,〈おはよう〉のように自明な共通の知識を確認するものや,アラブのように平安を祈ったり,西欧人のようによい一日を祈ったり,ギリシア人,古代ローマ人のように健康を祈ったりするものがある。また,ほぼ同じ言葉を交互に交換する場合と,一方が他方に対し相手本人や家族や家畜の健康状態を次々に尋ねるかたち,すなわち挨拶の送り手と受け手の役割が少なくとも一時的には固定している場合とがある。この後者の形式は西アフリカや西アジアの牧畜民のあいだでみられるが,そこではどちらが先に挨拶するかで社会的地位の差異があらわされることが多い。

 挨拶の身ぶりはさまざまな分類が可能であろうが,まず,眉を上げたり手をふる身ぶりのように比較的遠距離から行われるものと,近距離でなされるものがある。近距離からの場合,〈接触〉を伴うものと伴わないものとに分けられる。握手や抱擁やキス,あるいはニュージーランドマオリ族がするような鼻をこすりあわせる動作などは,接触の挨拶の典型例である。ビルマ(現,ミャンマー)やマレーシアエスキモーには鼻をよせて相手のにおいをかぐ挨拶があるが,それらは接触と非接触の中間形態といえよう。身体的接触を伴わない身ぶりとしては,日本人のするようなおじぎ,インドのヒンドゥー教徒や東南アジアや日本の仏教徒がする合掌(インドでもイスラム教徒は抱擁するのがふつうである),あるいはマオリ族が行う舌を出す挨拶などがあげられる。西洋人も国王に拝謁する際には,男は頭を下げ,女は片足を引いてひざを軽く折って挨拶するのが作法である。女のこの身ぶりはひざまずこうとする意志をあらわし,ヨーロッパの貴族社会の伝統的しぐさを継承するものである。

 ところで,挨拶の身ぶりは相手に対する〈攻撃性〉の有無という点からも分類が可能であろう。マオリ族の舌を出す挨拶などは,元来,威嚇的なもので,彼らの集落をおとずれる者があると,首長などが槍を持って出て行き,舌を出しながら相手のまわりをまわった。相手がそれに動じるようすをみせないと歓迎したのである。こうした攻撃的身ぶりに対して,多くの挨拶は友好関係の表現のようにみえる。その代表的例が笑いやほほえみであろう。エスキモーは〈笑う人〉と呼ばれたりするが,来客をとりかこんでただにこにこと笑ったり,互いに笑いころげたりするのである。挨拶の表現は,さらに,〈儀礼化〉の度合でもさまざまな段階に分かれる。ここでいう儀礼化とは,特定の行動の本来もっていたはずの機能が伝達的機能に転化するといったほどの意味であるが,ボルネオムルット族がその高床式の家の入口に酒壺を置いて,客にいやおうなしに酒をのませたり,ニューギニアのビアミ族が出会うと,握手をしてから,座りこんでタバコをきせるで回しのみしたりするなどの例では,挨拶行動はほとんど儀礼化されておらず,〈実質的〉行為に近い。他方で,おじぎや合掌などは高度に儀礼化された身ぶりといえる。

 人に対する挨拶の身ぶりとカミに対する〈祈禱(きとう)〉の身ぶりは似ている場合が多い。人間の世界の作法をカミに向けたものともいわれるが,ちょうど日本で人は死ぬとホトケになるように,人間ひとりひとりが神的なものをすでに身内にひそませているのだとしたら,あるいは,互いに相手のなかのそのカミに向かって挨拶しているのだとも考えうるであろう。
コミュニケーション →作法
執筆者:

挨拶は〈一挨一拶〉というように,中世の禅僧によって応答,問答するという意味で使用された語がしだいに一般化したものであり,それに相当する古くからの言葉ははっきりしないが,〈いや(礼)〉はそれに近い語であろう。各地の日常語ではジンギ(仁義)が挨拶の同義語として使用されてきたし,また単にモノイイ(物言い)ともいった。日本人の挨拶行為は,他人と身体を接触させることなく,一定の距離をおいて向かいあい,互いに上体を曲げ,頭を下げることを基本にしており,その曲げ方や下げ方は相手や場面によって異なる。しかし,この頭を下げることは挨拶の一要素にすぎず,むしろそのような行為に前後して一定の決まった言葉が交わされることが挨拶であった。〈物言い〉とか〈言葉がけ〉が挨拶の意味に使用されている地方があることはそれを示している。その交わす言葉は,接触する相手の地位,相手との関係あるいは接触する場面によって異なってくるが,その相違は挨拶が両者の位置関係を相互に承認確定し,その後に展開する関係を円滑にするためのものであったことによる。社会における一人前の一つの大きな指標が,他人に対し時や場面に応じて適切な挨拶ができるかどうかにあった。したがって,挨拶は,ムラにおける一人前への教育機関であった若者組での重要な訓練事項であった。伊豆地方の若者組では,加入に際して御条目という心得を言い渡すが,その中には必ずのように挨拶に関する項目があった。

 一般に挨拶は,(1)天候や時候という両者に共通する事象について声をかけて確認すること(たとえば〈よいお天気で〉〈よいおしめりで〉など),(2)相手の健康状態や仕事ぶりを確認し,それに関し喜んだり,感嘆したり,あるいはなぐさめたりすること(たとえば〈お達者でなによりです〉〈精が出ますね〉など),(3)それまでの人間関係を確認し,感謝すること(たとえば〈こないだはお世話さまでした〉〈いつもどうも〉など),の三つの要素で構成される。簡単な挨拶は(1)についてのみ申し述べて用件に入るが,あらたまったていねいな挨拶,特にハレの場の挨拶は(2)および(3)まで含み,決まった口上の言葉を一定の順序で申し述べるのが原則である。そして,別れのときの挨拶は〈またきましょ〉〈おみょうにち〉など,その別離が決して長いものでなく,人間関係は継続することを表現する。このような挨拶の言葉はもとは主語と述語を含む完結した文として申し述べられたが,日常的な場面ではしだいに省略が進み,簡単な単語のみになってきた。この傾向は現在も進行中といってよいであろう。
執筆者:

〈挨拶〉という語は,本来,〈おしあいへしあいする〉ことを意味し,上記にあるように禅での問答をも意味した。古く中国では,今日の日本語での挨拶にあたるものはすべて儒教の〈礼〉に一括されていた。《儀礼(ぎらい)》には,成人,結婚,会見,宴会など,さまざまな場合の礼の規定がみえ,そこに挨拶のしかたが,所作から受け答えのせりふに至るまで詳細に記されている。どの場合も立場の上下,身分の尊卑を明確にすることが目的であり,下卑なる者が上尊の者に恩愛・尊敬の情を示そうとしたもので,上尊の者はその所作や言葉から,逆に相手の心を見ようとしたのである。身分社会にあっては,尊卑上下を明確にさせることが人と人との結合を強めて秩序を保ち,社会生活を円滑にすると考えられたからである。《儀礼》にみえるものはおおむね公的な場合であるが,日常のことについては《礼記(らいき)》に詳しい。そこには,親子間のこととして,〈昏(ゆうべ)に定め晨(あした)に省(かえり)みる〉,子は夕べには父母の寝床を整え,朝には必ず父母のごきげんをうかがうとあり,師弟間のこととして,〈先生に道に遭えば,趨(はし)りて進み,正立して手を拱(こまぬ)く〉,道で先生に出会ったときには先生のもとへ走り寄り,起立して両手を前に重ねて挨拶する(これは〈拱手(きようしゆ)〉という中国独特の挨拶の所作)とある。また,〈帰省〉という言葉も,もとは故郷を離れて身を立てている子が,両親の安否を気づかって帰るという挨拶をいった。これらは父母や先生に対する親愛・敬意を表そうとするものであり,きわめて厳格に行われた。

 ともあれ前近代の社会における中国人の挨拶は〈礼〉の一部であり,したがってそれはもっぱら儒家のあいだのことであった。事実,六朝時代には儒教に反抗する者が多く,彼らはそのような挨拶はいっさい無視しようとした。しかし,儒教の世界で尊卑を分かつために役立った挨拶が,儒教をこえて社会一般の日常のものとなりえたのは,挨拶の所作や言葉が相手を思いやり,その結果,相手に安心感を与える力をもっていたからであろう。

執筆者:

ムスリム(イスラム教徒)同士の挨拶は,アッサラーム・アライクムal-salām `alaykum(あなたの上に平安を!)に対して,ワ・アライクム・アッサラームwa-`alaykum al-salām(そしてあなたの上にこそ平安を!)とコーランによって決められている(10:10,51:25)。この際に敬意を表するため,右手の手のひらを相手に向けて開き,頭の位置に上げて挨拶することもある(これがヨーロッパや日本の軍隊の敬礼の風習として伝わったともいわれる)。相手が挨拶をしたら少なくとも上記の返事をするか,もしくはもっと立派でていねいな挨拶を返すことが礼儀とされている(4:86)。

 上記のムスリムの挨拶は,季節や一日の朝夕の時間にまったく関係なく用いられる。自分の家に入るとき〈ただいま〉の意味で上記の挨拶を唱える人もいる。またこの挨拶は子どもに対しても女性に対しても用いられる。しかし相手が明らかにユダヤ教徒やキリスト教徒などの異教徒の場合には,こちらからアッサラーム(平安を!)と言うべきではないとされている。ただし,彼らのほうから挨拶をされたら,ワ・アライクム(そしてあなたたちにも!)と言うべきであると規定されている。もし,異教徒の集団の中に,少しでもムスリムが混じっている場合には,正式なムスリムの挨拶をせよと命じている。

 ひと昔前は女性の間では朝はサバーフ・アルハイルṣabāḥ al-khayr(おはよう),晩はマサー・アルハイルmasā'al-khayr(こんばんは)という挨拶が交わされたが,今日ではこの挨拶が一般の男性の間に普及するようになった。握手は預言者時代にすでに行われていて大いに奨励されているが,腰を曲げて挨拶することは禁じられている。旅から無事に戻ってきた者を迎えるときには,首と首とを合わせて抱擁しあって首にキスをしてもよいことになっている。また子どもにキスをすることはかまわないが,婦人の手を取ってキスをするという習慣はない。ただし相手が男性で聖人や高名なウラマーの場合は,手を取ってキスをすることが許されている。
執筆者:

配偶時の雌雄,育児期の親子,あるいは集団生活を営む種など,動物が同じ種の仲間と出会う際,相手の攻撃を避け友好的関係を形成・維持するためにとる行動。種類に応じてさまざまな方法が見られるが,その基本は友好的態度を表すか,攻撃性を隠すかのいずれかである。挨拶行動はいくつかのもとになる行動がしだいに儀式化することによって挨拶としての機能をもつようになり,種社会の中に定着したと考えられている。例えば鳥類,哺乳類でよく見られるくちばしや唇の触れ合いは育児のときの給餌行動から派生したものと考えられている。ボタンインコの雌雄は配偶の前に互いにくちばしの縁をかみ合うキスをする。この行為は近縁の種間で少しずつ異なり,実際に雌雄で食物の受渡しをする種から,食物には関係なく,雄がただ雌のくちばしに触れるだけの種までさまざまである。これは実際の給餌によって相手を慰撫することから,相手の確認へと儀式的に変わってきた挨拶行為とみることができる。同様に,セグロジャッカルは出会った相手の口角部を押すようにして挨拶するが,これは幼獣が自分の鼻面で親を押し食物を吐き出させていた行為から出たものである。すでに食物を吐き出す習性をなくしているある種のアザラシでも,鼻面の押合いが親子または成獣間の挨拶になっている。チンパンジーも互いに唇を触れて挨拶するが,これなども相手に食物を与える行為から出たものではないかと考える説がある。

 実際に食物を与える求愛給餌は前述のインコのほか,ワタリガラス,モズ,カワセミなど鳥類でよく見られるが,一般に求愛時の雌雄のふるまいは,興奮している相手をなだめる意味の挨拶と見ることができる。ガラパゴスのウは巣に戻るとき,相手に海藻のような贈物を持って来る。相手は荒々しくこれをひったくる。この場合,興奮の対象がものに向けられるため配偶がスムーズに行われるのである。途中でこの贈物をとってしまうと,巣から追い出されてしまうこともある。昆虫のオドリバエも,配偶時に雄が雌にしかるべき獲物を贈呈する。興奮している雌に襲われることを防ぐ行為と考えられているが,贈物は実際に小さな昆虫であったり,雄自身の分泌物を丸めたものであったり種によって異なるが,相互の確認と配偶をスムーズに行う点で一種の挨拶と見てよいだろう。

 求愛時の挨拶が威嚇の姿勢の対極である服従的ジェスチャーによって示される場合も多い。コウノトリは配偶の相手に対し,自分の頭を自身の背にのせるようにしてくちばしを鳴らす。威嚇するときにはくちばしを相手にまっすぐに向けるから,この行為は武器を納めたことを示す挨拶と考えられる。またユリカモメの類は求愛時に顔をそむけるが,これも同じく攻撃の武器であるくちばしを隠す行為である。

 体をすり合わせる行為も社会的接触の準備ができていることを示すもので,サルをはじめ多くの動物に見られる毛づくろいgrooming(羽づくろい)はその一つである。ネコは頭を相手にあずけることで挨拶する。チンパンジーは劣位の個体が手のひらを上に向けてさし出し,優位の個体がこれに触れる握手のような挨拶をする。また雌が雄の前でしりを向け,雄に性器をさわらせる行為(プレゼンティング)も実際の性行動から転じて象徴的な挨拶に変わったものである。雄が雌の顔に触れ雌がおじぎをしたような形になると,毛づくろいに移行して実際の性行為には至らない。イヌ,ネズミなどが互いの性器に近い部分をかぎ合うのも相手を確認する一種の挨拶と見てよいだろう。ときには相手を威嚇し,互いにけん制しながら相手の興奮を制御するような場合もみられる。カモメやサギは,配偶時にしばしば首をのばしたり,両性が並んで体を前方にのばすなどの威嚇的な挨拶をする。
執筆者:

挨拶 (あいさつ)

俳諧用語。2句の唱和・問答を起源とする連句では,主客が発句(第1句),亭主が脇(第2句)を担当し,挨拶をかわす心でよむ。時と所と状況をふまえて当座の儀にかなうことが挨拶の心だから,発句はまず眼前当季の景物をめで,脇もそらさず同季で応じる。常連のみの一でも,発句・脇の担当者は同様の心でよむ。その上で,状況に応じて称賛・卑下などの寓意を託することもある。俳句に季語をよみこむのは,その名ごりであるが,近代の独詠は脇を予想しない。それに対して,連句時代の発句のもつ対詠的性格を広く挨拶とよぶこともある。挨拶には土地や古人に対するものもあり,ときには連句の進行中,一座の誰かに当てこむ挨拶もある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「挨拶」の意味・わかりやすい解説

挨拶
あいさつ

日常の人間関係を円滑に取り運ぶための、一定の形式をもった、なかば儀礼的な相互行為。一方、人間関係を疎遠にするために交わすこともある。

 挨拶の方法は、互いに声をかけあったり、または特定の顔の表情や身ぶり手ぶりで示すなどさまざまであり、これらのことばや動作は、それぞれの社会において幼いころからしつけられる。また挨拶には、社会的空間において互いの関係を位置づけまたは確認するという目的も含まれているため、性、年齢、地位、身分、宗教、親族関係の有無あるいは差違、生活集団の内にあるか外にあるかなどの諸条件に応じて挨拶の仕方も違ってくる。

 たとえば、サウジアラビアの砂漠に住むベドウィンのある部族は、他部族のテントを訪れたとき、彼らのうちの男たちとだけ握手を交わす。訪問先が同一部族であって、相手が30歳くらいまでの同じリネージ(単系出自集団の一つ)であれば、軽い口づけを挨拶とする。中年以上、または別のリネージの者に対しては、相手の鼻に2~3回指を触れる。また相手が老人の場合は、リネージが異なれば単に指を鼻に触れるだけだが、リネージが同じなら鼻に接吻(せっぷん)をする。一方、女たちに対しては、リネージが異なり姻戚(いんせき)でもなければ、テント内の仕切り越しにことばをかけるだけである。しかし同リネージの場合は、女の区画へ入って行き、リネージの差異により握手あるいはベールを上げて頬(ほお)に接吻をする。

 このほか、変わった挨拶として、マサイなど東アフリカの牛牧民は地面に槍(やり)を逆さまにして突き刺すし、ニューギニア高地のモニなどは「アマカネ」といいながら指切りのようなことをして互いに引っ張って離し、パチンと音をたてることで親しみを表現する。またエスキモーによる満面笑みをたたえた特別の応対ぶりなど、個々の事例は旅行記や民族誌で多く紹介されている。

 しかし、諸民族とりわけ非西欧的社会における挨拶については、風変わりな部分だけが取り上げられ、ことさら話題にされる傾向が強い。だが、日本人が腰を折り身をかがめておじぎをし、欧米人が抱擁し接吻するのも、みる立場によっては、それぞれ変わった挨拶として受け止められよう。挨拶を考える場合、その背景にある社会的状況と文化的前提とを対比、関連させながら掘り下げる必要があろう。

[小川正恭]

日本人の挨拶方式

日本人の挨拶も対面交渉の前後に行われる応対方式であって、通例伝統的に形式化した「ことば遣い」に特定の「身ぶり」を伴う。挨拶の「挨」は押す、「拶」は押し返すの意で、本来は禅僧の「知識考案」における「受け答え」をさす語で、それが一般にも通用するに至ったもの。国語では古くから「物言い」あるいは「ことばをかける」「声をかける」などと言い習わし、狂言において応対文句に「何と」「物と」とあるのも同趣である。こうした応対方式は有職(ゆうそく)故実の「礼式」などに定型化されて伝存するが、むしろ民間一般の習俗が重視されるべきで、地方性と職業に従ってその様式は多様を極め、また時代による変遷も顕著である。

 挨拶の方式は「仲間内」と「仲間外」の別があり、また日常時(ケ)と特定の改まった場合(ハレ)とでは大きな違いが生ずる。日常の挨拶ことばは、天候や仕事の進度など共通の関心にかかわる「形式的用語」であり、季節や時刻で異なる。早朝のオハヨウは一般的であるが、このほかオヒンナリ、タダイマというような地方的用例もいろいろある。日中のコンニチハにも、オセンドサン、ゴショウダシなど、相手の働きぶりを褒める意味の挨拶ことばを用いる地方もある。また、オアガリ、ノマンシタカなど休息、食事にかかわるものや、オツカレ、オバンデ、オシマイナなど夕刻の挨拶には労働のねぎらいを示すことばが多い。夜のオヤスミも同義で、オイザト、ダッチョ、ザットヤーなどの方言には「目ざとくあれ」という古意が残っている。

 他家訪問や初対面の応対にも定型の用語があり、これらもまた地方的、職業的に特殊化した例が少なくない。ウチナ、イラシンスケなど家人の在否を尋ねる形から、オユルシナ、ゴヨウシャなど、今日のゴメンクダサイと同意の語が多く用いられ、さらに形式化してハイット、ヨイト、オイロンといった簡略語も生まれた。「物申(も)う」も簡略語の旧形で、現在は電話応対のモシモシに名残(なごり)をとどめている。サヨナラ、ソンナラという「別れことば」も多岐にわたり、マタナ、オミョウニチ、コンドメヤ、ソンデハマタなど再会を約す意味のものが多い。仲間内の日常挨拶ことばは簡略化が進み、まったくの符丁と化したものも珍しくはないが、それでも仲間関係の確認には足りるのである。

 正月礼、盆礼、節供礼や吉凶の訪問には、改まった慣習的挨拶ことばがあり、所によっては「口上書(こうじょうがき)」を伴う古形式さえ残っている。また、「仲間入り」の挨拶は職業によって違うが、おおむね重々しく、いわゆる「披露」の挨拶ともなると多分に様式化されるのを常とした。歌舞伎(かぶき)役者の「披露口上」などはその典型であり、また「やくざ仲間」の「披露」もものものしく、別に仲間外挨拶として「仁義をきる」という作法様式も生じた。

 一般に挨拶には呪術(じゅじゅつ)的祝福の意を伴うことが多いとされているが、日本の場合はそれが希薄で、わずかにトウデヤ、アリガトウなどの「礼ことば」に神仏をたたえる意が若干残る程度である。

 挨拶の「身ぶり」は多様で、日常の場合は簡略化されたものの、特定の席ではさまざまに様式化した。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』によれば、下戸(げこ)が大人(たいじん)に会うと退いてうずくまり、両手をついてかしこまり、「噫(あい)」と返答するとか、あるいは公の場にあって大人の礼拝に両手を打って応ずる、とある。これは古形を伝えるものだが、少なくとも日本においては「頭を下げる」ことが伝統的様式であり、立礼と座礼ではその様式も異なる。とくに「ハレ」の席の座礼にあっては、扇の使用によってさまざまの形を生み出すことにもなった。

[竹内利美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「挨拶」の意味・わかりやすい解説

挨拶
あいさつ

中世に日本に輸入された漢語で,元来,禅宗において僧が問答を繰返し合う意味,また単に受け答えの意味として使われた。現在では他人に対して尊敬や親愛の気持を表わす動作,言葉,文面などを意味するようになっている。生活のなかで挨拶に用いられる言葉は,「オハヨウ」「コンニチハ」「コンバンハ」「サヨウナラ」などが一般的なもので,これらに相当するものは各地とも大同小異である。地方によっては刻限に応じて内容を変える挨拶の言葉がまだ生きている。早朝は「オハヨウ」 (早く起きたね) ,続いて天候の挨拶。昼食前後は「ノミマシタカ」「オ茶オアガリ」 (昼食はお茶同様に簡単にすます) ,夕方は「オシマイナ」 (一日働いたから早くしまいなさい) ,「オバンデゴザイマス」,別れには「マタクルガ」「オアスウ」など思いやりのこもった言葉が使われている。別れの挨拶は「また会いましょう」の意味をこめたもので,永遠の別離を避ける配慮がこめられている。

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普及版 字通 「挨拶」の読み・字形・画数・意味

【挨拶】あいさつ

大勢がおしあう。挨擠(あいせい)。また、禅家で問答することをいう。宋・長庚〔海集、鶴林問道〕昔(むかし)天子登りて泰山に封ず。其の時、士庶挨拶す。

字通「挨」の項目を見る

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日本文化いろは事典 「挨拶」の解説

挨拶

あいさつは世界共通の行動ですが、その方法は国によって千差万別のようです。日本ではお辞儀が一般的ですが、タイではお辞儀の代わりに合掌を、ポリネシアでは鼻を使ってあいさつをします。また、今日の「おはよう」は「お早くから、ご苦労様でございます」などの略で、朝から働く人に対するねぎらいや気遣いの言葉でした。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の挨拶の言及

【発句】より

…そもそもの起源が唱和問答にあったから,時節,場所がらなどの状況を巧みにとらえて相手に問いかけるのが発句本来の性格である。したがって,〈当季眼前〉の景物をよみこんで挨拶することが,長連歌においてもならいとなった。当然ながら一座の主賓格の人を立てることが多く,〈客発句とて昔は必ず客より挨拶第一に発句をなす〉といわれ,常連のみの集いでも発句をよむ者にはその気持が大切とされた。…

※「挨拶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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