摺暦(読み)すりごよみ

世界大百科事典(旧版)内の摺暦の言及

【経師】より

…書画類の需要は,床の間を備えた室空間の普及,室内装飾への関心の深まりとともに庶民の上層部にも増大していたからである。また,応仁・文明の乱後の京都には,摺暦(すりごよみ)というかな文字で木版印刷の暦を量産し販売する経師たちも現れ,朝廷・幕府・有力公家などを挟んで,たびたび摺暦職(しき)の権利を争った。かな文字を解する庶民が激増し,農事・行事などを含めて,手近に暦のあることが望まれるようになっていたと思えるから,その利益は甚大であったろう。…

【暦】より

…しかし日本最古の版暦は1317年(文保1)の具注暦である。15世紀から16世紀にかけての京都や奈良の文書には三島暦という名が版暦の代名詞として使われているところから,三島暦は摺暦(すりごよみ)としては先駆的なものと思われている。また大田南畝(なんぽ)は友人から借りたものを書写したとして1310年(延慶3),12年の具注暦を示し,元は版暦なりと注している。…

※「摺暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」