撃方山城跡(読み)うつかたやまじようあと

日本歴史地名大系 「撃方山城跡」の解説

撃方山城跡
うつかたやまじようあと

[現在地名]上対馬町大浦

大浦おおうら北西にある撃方山(一七三メートル)は古代に烽および防人が置かれた地という(津島紀事)。天正一九年(一五九一)朝鮮半島への出兵の際、軍監毛利高政により城が築かれたことで知られる。肥前名護屋なごや(現佐賀県鎮西町)釜山を結ぶ駅城ともいわれるとおり、朝鮮半島を望み、海峡を見渡す格好の地といえる。貞享二年(一六八五)の対州名所記によれば、本丸・二の丸・三の丸と称する曲輪があり、三郭ともに平らで石垣をめぐらしているという。しかし「津島紀略」では毛利氏の古城跡は不明とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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