擬洋風建築(読み)ぎようふうけんちく

世界大百科事典(旧版)内の擬洋風建築の言及

【清水喜助】より

…大工棟梁清水喜助(1783‐1859)の弟子となり,1839年(天保10)清水家に入婿,59年(安政6)2代目を名乗る。初代より出入りの井伊直弼の周旋で横浜に進出し,外国奉行所や異人牢などを建設する一方で西欧建築の様式を吸収し,明治維新後みずから設計した三井組ハウス(1872),為替バンク三井組(1872)により,擬洋風建築と呼ばれる折衷様式の傑作を世に現した。現在の清水建設の祖である。…

【ベランダ】より

… 幕末から明治初期にかけ,長崎をはじめとする居留地に造られた異人館は,すべてベランダ付きのコロニアル・スタイルで,柱やアーチは古典風ながら,ベランダ天井は薄板を編んだ網代をボールト状に湾曲させた東南アジア風のものが用いられていた。日本人工匠によるいわゆる擬洋風建築では,とくにこうしたベランダが好まれ,明治20年代ころまでは,これが洋風建築のシンボルとみなされていた。【福田 晴虔】。…

※「擬洋風建築」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」