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支倉常長【はせくら・つねなが】
6件の用語解説(支倉常長で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
元亀2 (1571)
没年: 元和8.7.1 (1622.8.7)
伊達政宗が慶長・元和年間ヨーロッパに派遣した使節大使。初め与市のち六右衛門または長経と称した。父は山口常成で,父の兄支倉時正の養子となる。父の断罪に連座し一時追放されたが,のち許され600石を給せられる。慶長16(1611)年政宗はフランシスコ会士ソテロを招き領内での布教を認め,その助言によってスペイン領メキシコとの通商を希望した。そこでスペイン国王ならびにローマ教皇に使節を派遣することになり,一方,これにより,ソテロはフランシスコ会士の増派と奥州司教区の設置を意図した。慶長18年9月15日,政宗が幕府船手奉行向井将監の応援をえて建造したサン・フアン・バウティスタ号で,支倉はソテロと共に牡鹿半島月の浦を出帆した。 一行はメキシコを横断して大西洋を渡り,マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見,政宗の書状を呈した。同地滞在中,王室跣足派女子修道院附属教会において国王臨席のもとに受洗した。霊名はフェリペ・フランシスコ。さらにローマに赴き,パウロ5世に拝謁し政宗の書状を奉呈した。ローマ市から一行に公民権が贈られ,支倉は貴族に列せられた。再びマドリードに戻ったときには,日本でのキリシタン迫害の報告がとどいており,スペイン政府の態度は冷たかった。そのため,当初意図していた願いはかなえられず,空しくスペインをあとにせざるをえなかった。セビリアからメキシコを経てマニラに立ち寄り,元和6(1620)年8月26日仙台に帰着。2年後病没した。<参考文献>L.ペレス著・野間一正訳『ベアト・ルイス・ソテーロ伝』,松田毅一『伊達政宗の遣欧使節』,支倉常長顕彰会編『支倉常長伝』
(野間一正)
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世界大百科事典 第2版の解説-
はせくらつねなが【支倉常長】
1571‐1622(元亀2‐元和8)
伊達政宗の臣下で慶長遣欧使節の正使。与市,五郎左衛門,のちに六右衛門常長または長経とも称する。1592年(文禄1)朝鮮の役のさい政宗とともに朝鮮に渡り軍功を立てた。1613年(慶長18)9月,伊達政宗の命をうけて南蛮国にフランシスコ会士ソテロほか180余人とともに派遣された。12月メキシコに到着し,さらに随員二十数名とともにスペインへ渡った。15年1月スペイン国王フェリペ3世に謁見し,通商開設と宣教師派遣を要望する政宗の書状と協定条項を奏呈した。・・・
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
支倉常長 はせくら-つねなが
 
1571-1622 江戸時代前期の武士。
元亀(げんき)2年生まれ。陸奥(むつ)仙台藩士。慶長18年(1613)伊達政宗の命で,宣教師ソテロとともにメキシコをへてスペインにわたり,フェリペ3世に書状を奉呈し,さらにローマにおもむき教皇パウロ5世に謁見した。通商交渉は失敗し,元和(げんな)6年帰国。元和8年7月1日死去。52歳。本姓は山口。通称は六右衛門。名は別に長経。洗礼名はフェリペ=フランシスコ。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
江戸初期の陸奥(むつ)仙台藩士。支倉時正の養子,六右衛門とも。自署には長恒とある。1613年伊達政宗の命を受け,フランシスコ会士ルイス・ソテロとともにメキシコを経てスペインのフェリペ3世に通商開設と宣教師派遣を求める政宗の書を渡し,さらに自ら受洗した(洗礼名ドン・フェリペ・フランシスコ)。
(1571-1622)
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デジタル大辞泉の解説-
はせくら‐つねなが 【支倉常長】
[1571~1622]江戸初期の仙台藩士。幼名、与市。通称六右衛門。伊達政宗の命を受け、慶長18年(1613)日本を出発して渡欧、ローマで教皇パウロ5世に謁見して通商交渉に当たったが、成功せずに帰国。
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大辞林 第三版の解説-
はせくらつねなが【支倉常長】
(1571~1622) 江戸初期の仙台藩士。伊達政宗の命で1613年渡欧し,ローマで法王パウロ五世に謁見し,市民権を得た。奥州司教区の創設,通商の交渉は成功せず,20年帰国。
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