法的責任と異なった次元で、政治家が法律に基づく司法判断における責任を免れてもなお社会に対して負うべき責任のことをいう。M・ウェーバーは、政治家にとって必要とされる資質として、情熱、洞察力、そして責任感をあげている。さらに、心情倫理と責任倫理を区別し、行為の目的とかそれに対する熱意によって結果を正当化する心情倫理ではなく、結果そのものに対する責任を問う責任倫理が政治家には要請される、としている。一般の人々の社会関係においては、正当な目的をもち、その目的実現に向かって誠心誠意の努力をした場合、結果に対して責任を問われないことが多い。心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者にではなく、悪い結果を導いた条件にあると考えられる。しかし政治家は、社会に対して包括的な影響力をもち、その言動によって大衆の生活が左右されるのであるから、深い洞察力によって行為の結果を予見できる人でなければならない。結果を判断できた以上、その結果はその人の行為の責任といわざるをえない。現実には、法的責任とは無関係に選挙結果で政治家や政党の地位が左右されるので、選挙が政治的責任を問う機会となる。責任の基準はそれぞれの社会の政治文化によって異なる。今日のマス・デモクラシーにおいては、受動的な大衆を操作することによって、心情倫理的基準へのすり替えも行われている。
[大谷博愛]
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