救済(読み)キュウサイ

デジタル大辞泉 「救済」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐さい〔キウ‐〕【救済】

[名](スル)
苦しむ人を救い助けること。「難民を救済する」
神や仏の側からさしのべられる救い。キリスト教では、人間を罪や悪から解放し、真実の幸福を与えること。救い。
[補説]書名別項。→救済
[類語]救助救難救援救急救命救世救国救民済民済世慈善助ける救う救い出す救出する救護する助け合う・救い上げる・助け出す互助人助け助命

ぐさい【救済】[人名]

[1282?~1376?]鎌倉末期・南北朝時代連歌師。俗称、侍従房・侍公。和歌冷泉為相れいぜいためすけに、連歌善阿に学んだ。二条良基と「菟玖波集つくばしゅう」を編集、「連歌新式」を制定。良基・周阿とともに連歌界の三賢とよばれる。きゅうせい。

きゅうさい【救済】[書名]

《原題、〈ドイツErlösungenデーメルの処女詩集。1891年刊。

きゅうせい〔キウセイ〕【救済】

ぐさい(救済)

ぐ‐さい【救済】

仏語。救いとって、悟りに至らせること。

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精選版 日本国語大辞典 「救済」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐さいキウ‥【救済】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 救い助けること。
    1. [初出の実例]「可赦天下済此病」(出典:続日本紀‐天平五年(733)五月辛卯)
    2. 「現に衰頽した育英学舎が目前に横はって救済を待兼ねて居る有様であるから」(出典:思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉三)
    3. [その他の文献]〔呉志‐孫権伝〕
  3. 宗教で、救いによって得られる至福の状態。
  4. ぐさい(救済)

ぐさい【救済】

  1. 南北朝時代の連歌師。「ぐぜい」「きゅうせい」ともいう。号侍従房・侍公。和歌を冷泉為相(れいぜいためすけ)、連歌を善阿(ぜんな)に学んだ。摂関家二条良基は彼の弟子であり、後援者でもあった。良基の「応安新式」制定や准勅撰連歌撰集「菟玖波(つくば)集」の完成に協力し連歌の興隆に貢献した。弟子に周阿がいる。作品は「菟玖波集」に入集した一二六句のほか「文和千句」「紫野千句」などがある。弘安五~永和二年(一二八二‐一三七六)か。

ぐ‐さい【救済】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「くさい」とも ) 仏語。凡夫を救いとって、さとりに至らせること。
    1. [初出の実例]「日本国帰命聖徳太子 仏法弘興の恩ふかし 有情救済(グサイ)(〈注〉タスケスクワセタマフ)の慈悲ひろし 奉讚不退ならしめよ」(出典:皇太子聖徳奉讚(1255))

きゅう‐せいキウ‥【救済】

  1. 〘 名詞 〙きゅうさい(救済)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「救済」の意味・わかりやすい解説

救済(宗教)
きゅうさい

救い。宗教の基本的な観念の一つ。歴史上いろいろの形で現れるが、そこには共通の構造が認められる。すなわち、疾病、災厄、危難、罪責など、人間にとって否定的な事態によって生が脅かされるとき、そこから脱することで、正常な、よりよきあり方に復帰することである。仏教解脱(げだつ)をはじめ、救済に相当する外国語salvation(英語)、salut(フランス語)、Erlösung, Heil(ドイツ語)は、いずれもそうした解放や回復の意味を含んでいる。解放はいわばその消極面であり、回復はその積極面をなすとみることもできる。

 この点からすれば、すべての宗教はなんらかの形で救済の働きをもつものといえる。ただし、その実際の内容は、これだけではまだ一義的に明らかではない。たとえば肉体的疾患や穢(けがれ)などについては、未開・古代の宗教以来、呪術(じゅじゅつ)、祈り、儀礼などによる対処が試みられてきたが、これらは現在ではかなりの部分が医療その他の合理的方法によって解決されるようになり、宗教的な救いとは考えられないことが多い。否定的な事態への対処といっても、技術的、合理的に解決できるものは救済ではない。人力や人知でコントロールできない状況に対し、超合理的な対処がなされるとき、初めて救済が成り立つのである。

 以上は広義での救済であるが、これに対して狭義かつ本来の意味での救済は、仏教やキリスト教などの世界宗教や、一部の新宗教にみられるものをさす。これらの宗教では、否定的な事態はただ個別的、偶然的なものにとどまらず、むしろ世界と人間の本性に根ざしたものとされ、その包括的な克服が説かれる。仏教の煩悩(ぼんのう)、キリスト教の原罪の教えはその典型であろう。同時に、それまでのように特定の民族などでない個人が、そして他方では全人類が、潜在的な救済対象となってくる。

 この狭義での救済にも、さらにいくつかの型が分けられる。もっとも一般的なのは、なんらかの神格や救済主をたて、その恩恵、助力によって悪、罪、死などからの解放を求める行き方である。キリスト教をはじめとする有神的宗教や、仏教のなかでも浄土(じょうど)教はこの型に属する。超人間的な力ないし存在を想定し、それへの帰依(きえ)や祈りにより救われることを求める点で、それはいわゆる他力の、また最狭義の救済である。これに対し、初期仏教や禅などにみられるように、自らの修行や体験を通じて解放を達成するという方向もある。これはいわば自己救済といえよう。

[田丸徳善]


救済(きゅうせい、連歌師)
きゅうせい
(1282―1376)

鎌倉・南北朝時代の連歌師(れんがし)。侍従房(じじゅうぼう)、侍公(じこう)ともいう。善阿(ぜんな)の門弟。和歌は冷泉為相(れいぜいためすけ)に学んだ。鎌倉末期、文保(ぶんぽう)(1317~19)のころ、毎年北野社で千句連歌を興行、連歌師として頭角を現し、南北朝時代に入ってまもなく二条良基(よしもと)の信頼を得てその師となるに及び、その門流は連歌界の主流となった。以後、良基を助けて『菟玖波集(つくばしゅう)』(1356)を編集し、『応安(おうあん)新式』(1372)を制定するなど、連歌の文芸性の向上に大きな寄与をした。門人には、良基のほか周阿(しゅうあ)、利阿、永運、素阿などが著名である。良基は、その句風について、「救済は詞(ことば)あくまできゝて幽玄に面白かりき。風情をこめて連歌を作る事はなし。たゞ能(よ)く付きたりし也。(中略)たゞかゝりをむねとし、詞を花香あるやうに使ひしなり」(十問最秘抄)と評している。「思へば今ぞ限りなりける」の前句に、「雨に散る花の夕の山おろし」と付けたのなどは、代表作の一つである。永和(えいわ)2年、95歳で没した。

木藤才蔵

『金子金治郎著『菟玖波集の研究』(1965・風間書房)』『木藤才蔵著『連歌史論考 上』(1971・明治書院)』『伊地知鉄男校注『日本古典文学大系39 連歌集』(1960・岩波書店)』


救済(ぐさい、連歌師)
ぐさい

救済

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普及版 字通 「救済」の読み・字形・画数・意味

【救済】きゆう(きう)さい

すくう。〔三国志、呉、孫権伝〕世らげ、黎庶(れいしよ)(民衆)を救濟せんことを思ふ。上はに答へ、下は民を慰めん。~將(まさ)に與(とも)に力を戮(あは)せ、共にを定めんとす。

字通「救」の項目を見る

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朝日日本歴史人物事典 「救済」の解説

救済

没年:永和4/天授4.3.8(1378.4.5)
生年:弘安7(1284)
鎌倉末・南北朝時代の連歌師。「ぐさい」とも読む。侍従房,侍公とも称され,近江国佐々木氏の一族か。連歌を善阿に,和歌を冷泉為相に学んだ。文保(1317~19)のころ,北野社法楽千句を指導する実力をみせ,南北朝時代に入ると土岐頼遠,足利直義ら主催の連歌会に加わり,さらにその後,二条良基,尊胤法親王,京極高氏(佐々木導誉)らの庇護を得て,連歌界の指導的立場に立った。特に良基は救済の連歌を高く評価し,連歌論『僻連抄』にはその所説を用い,また延文1(1356)年,『菟玖波集』編集に当たっては救済の協力を求め,応安5(1372)年『連歌新式(応安新式)』を制定した折には加判させるなどし,救済も良基の連歌活動を全面的に支えた。このふたりの協調関係は,理詰めな付合を特徴とする地下連歌と優美一辺倒の堂上連歌との融合をもたらし,以後の連歌の発展に大きく寄与した。救済の生涯は,筑紫安楽寺を訪れたこと,大原極楽寺に住んだことなどが断片的に知られるのみで,詳細は不明。作品は『菟玖波集』入集の127句のほか,『文和千句』『紫野千句』『侍公周阿百番連歌合』などがある。「罪のむくひはさもあらばあれ/月残る狩場の雪の朝ぼらけ」などのように前句の肝要を押さえた付合は他の追随を許さない。門弟には周阿,永運,素阿,成阿らがいる。<参考文献>金子金治郎『菟玖波集の研究』

(沢井耐三)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「救済」の意味・わかりやすい解説

救済
きゅうさい
sōtēria; salvation

宗教における基本的な概念の一つ。広義には超合理的な方法で肉体的,心理的に否定的な状況から脱して,安定に到達することをいう。その具体的な内容は,それぞれの宗教により,さまざまな様相を示しており,個人だけではなく家族,民族といった集合体までもが,救済の対象として考えられることがある。実現の方法は,基本的に神仏や,なんらかの霊的な存在などに祈願し,その加護を期待するものと,もっぱら自己の努力による達成を期するものとに分けられる。前者は他力的な救済,後者は自力的な救済ともいいうるが,狭義には前者を,特に限定して救済ということもある。キリスト教をはじめ,多くの有神論的な宗教においては,救済は超人間的な存在によって,初めてもたらされると考えられており,各宗教の民衆的な性格とも無関係ではない。これに対し,とりわけ初期のインドの仏教のように,少数の達人的な修行者によってになわれた宗教では,自己修練の積重ねによって,解脱にいたることが目標とされた。この意味で仏教は基本的に解脱型,キリスト教は救済型といってもよい。現実には,キリスト教の内部でも解脱に近い体験はみられるし,逆に仏教にも浄土教のように明らかに救済型というべきものもある。そのかぎりでは,解脱と狭義の救済とは,さまざまな宗教を通じてみられる体験の類型といえる。

救済
ぐさい

[生]弘安7(1284)
[没]天授4=永和4(1378).3.8.
鎌倉時代末期~南北朝時代の連歌師。「きゅうせい」ともいい,侍公ともいう。善阿 (ぜんな) の門下。冷泉為相 (れいぜいためすけ) に和歌を学ぶ。文保 (1317~19) の頃,毎年北野で千句連歌を催し梶井宮と大原において連歌し,佐々木道誉とも交わりがあった。晩年,二条良基の師となり,『連理秘抄』の校閲をし,『菟玖波集』の編纂や,『応安新式』の制定に協力。門下に周阿,利阿,永運,梵灯,素阿ら。『菟玖波集』に最多数の 127句を入集,南北朝時代最大の連歌師として,宗砌 (そうぜい) ,心敬,宗祇らも称賛している。句風はあらゆる付様をよくしたが,特にありのままの表現のなかにさびた余情をたたえた句にすぐれていた。著書に『林下草』がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「救済」の意味・わかりやすい解説

救済 (ぐさい)
生没年:1280?-1376?(弘安3?-天授2|永和2?)

〈きゅうせい〉ともいう。別に侍従房,侍公と称する。南北朝・室町初期の連歌師。二条良基とともに《菟玖波集(つくばしゆう)》(文和5年(1356)序)を編む。のち良基に協力して連歌の式目《応安新式》を制定。興隆期の連歌界を指導した。作品は《菟玖波集》に入集した126句のほか《文和千句》《侍公周阿百番連歌合(じこうしゆうあひやくばんれんがあわせ)》など。門人に周阿,永運ほか。
執筆者:


救済 (きゅうさい)

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百科事典マイペディア 「救済」の意味・わかりやすい解説

救済【ぐさい】

鎌倉後期〜南北朝時代の代表的地下(じげ)連歌師。〈きゅうぜい〉とも。出自は不詳。善阿(ぜんな)の門弟。和歌を冷泉為相(ためすけ)に学んだという。二条良基とともに《菟玖波(つくば)集》を撰し,連歌式目《応永新式》の制定にも参与した。連歌を伝統的文芸の位置に高めたとされる。
→関連項目連歌

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「救済」の解説

救済 ぐさい

1284-1378 鎌倉-南北朝時代の僧,連歌師。
弘安(こうあん)7年生まれ。和歌を冷泉為相(れいぜい-ためすけ)に,連歌を地下(じげ)派の善阿にまなぶ。二条良基(よしもと)にみいだされ,良基をたすけて「菟玖波(つくば)集」「応安新式」を完成。「菟玖波集」には最多の127句がおさめられている。永和4=天授4年3月8日95歳で死去。一説に永和2=天授2年没という。通称は侍公,侍従房。

救済 きゅうせい

ぐさい

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世界大百科事典(旧版)内の救済の言及

【救い】より

…〈救済〉ともいう。一般に,超自然的な存在や力もしくは自己の精進・努力によって,生理的な病や心理的な苦痛から脱却すること。…

【救済】より

…〈きゅうせい〉ともいう。別に侍従房,侍公と称する。南北朝・室町初期の連歌師。二条良基とともに《菟玖波集(つくばしゆう)》(文和5年(1356)序)を編む。のち良基に協力して連歌の式目《応安新式》を制定。興隆期の連歌界を指導した。作品は《菟玖波集》に入集した126句のほか《文和千句》《侍公周阿百番連歌合(じこうしゆうあひやくばんれんがあわせ)》など。門人に周阿,永運ほか。【今泉 淑夫】…

【応安新式】より

…一般に《連歌新式》ともいう。1372年(応安5),二条良基救済(ぐさい)の協力を得て,それ以前の《連歌本式》や,また特に《建治新式》(現存せず)に基づいて制定したという。雑多であった連歌式目を統一し,勅許を仰いで世にひろめ,以後の規範となった。…

【菟玖波集】より

…《筑波集》《古筑波》とも。二条良基救済(ぐさい)の協力で古代から当代までの連歌作品を集大成したもので,構成は勅撰和歌集にならう。准勅撰となり,連歌の文学的地位を確立。…

【連歌師】より

…作風も前代の和歌的情趣による句作を超え,〈地下(じげ)〉独自の雅俗入りまじった付合(つけあい)を創始し,地下連歌の作風の源流となった。善阿の弟子救済(ぐさい)は,連歌活動において師を上回るものを示すとともに,連歌という場が要求する多面的な作句能力を持つすぐれた連歌作者であった。ために,時の貴族界の頂点にいた二条良基に認められ,《菟玖波(つくば)集》の編集,《応安新式》の制定に関与し,連歌界の指導者として重要な位置を占めた。…

※「救済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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