日本大百科全書(ニッポニカ) 「斉(中国、周代の侯国)」の意味・わかりやすい解説
斉(中国、周代の侯国)
せい
中国、周代の侯国。姜(きょう)斉ともいう。周の文王に用いられて、武王の殷(いん)の討滅を助けた太公望(たいこうぼう)呂尚(りょしょう)が営丘(えいきゅう)(現在の山東省益都(えきと)県付近)に封ぜられたのに始まるとされる。7代目献公(けんこう)のときから都を臨淄(りんし)(現在の山東省淄博(しはく)市東方)に移し、以後都は変わらなかった。紀元前7世紀初頭ごろから勢力を伸ばし、桓公(かんこう)(在位前685~前643)が即位すると、名宰相管仲(かんちゅう)の補佐の下で富国強兵策を推進し、前651年には覇者となり、周辺の小国を併合し、衛(えい)国を復興させ、楚(そ)の侵入を阻止し、斉を一躍強国にした。桓公以後は覇者とはならなかったが、晋(しん)、楚と並ぶ大国として君臨した。しかし、前5世紀以後は有力貴族の台頭や内乱によって国内は混乱し、前379年、有力貴族の田敬仲(でんけいちゅう)が康公(こうこう)にかわって公位についた。
[太田幸男]
『司馬遷著、小川環樹他訳『史記世家』(岩波文庫)』