斎藤寅次郎(読み)サイトウトラジロウ

デジタル大辞泉 「斎藤寅次郎」の意味・読み・例文・類語

さいとう‐とらじろう〔‐とらジラウ〕【斎藤寅次郎】

[1905~1982]映画監督秋田の生まれ。本名、寅二郎。榎本健一古川緑波ろっぱなどを起用した喜劇映画量産、「喜劇神様」とも呼ばれた。代表作子宝騒動」「ハワイ珍道中」「珍説忠臣蔵」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤寅次郎」の意味・わかりやすい解説

斎藤寅次郎
さいとうとらじろう
(1905―1982)

映画監督。本名斎藤寅二郎。明治38年1月30日、秋田県由利(ゆり)郡矢島町(やしままち)(現、由利本荘市)に生まれる。1920年(大正9)に明治薬学校を中退。1922年に松竹蒲田(かまた)撮影所に入って助監督になる。1926年に監督になり、主として短篇のドタバタ喜劇を量産して、「喜劇の神様」とよばれる。当時のその種の作品でほぼ完全な形で残っているのは『子宝騒動』(1935)であるが、息もつがせぬほどギャグのつまった傑作である。トーキーになるとアクション本位の笑いの痛快さが失なわれ、歌謡曲入りの感傷的な喜劇になるが、1945年の敗戦直後につくられた『東京五人男』は、空襲により一面の焼跡と化した東京を舞台にコメディアンたちが繰り広げる復興と民主主義建設のドタバタ喜劇として他に類のない貴重なものである。その後ももっぱら美空ひばりをはじめとする大衆的な人気者たちの喜劇をつくり続けた。昭和57年5月1日没。

佐藤忠男

資料 監督作品一覧

桂小五郎と幾松(1926)
悲恋心中ヶ丘(1926)
怒濤(1926)
曲馬団の姉妹(1926)
噫河野巡査(1926)
暗闘(1926)
高田の馬場(1927)
魔道(1927)
殺陣時代(1927)
仇討違ひ(1927)
島原美少年録(1927)
不景気征伐(1927)
悲恋剣闘(1927)
浮気征伐(1928)
活動狂(1928)
果報は寝て待て(1928)
チンドン屋(1928)
急げや急げ(1928)
混戦七人組(1928)
娘頑張れ(1928)
天晴美男子(1928)
彼女と海(1928)
亀公(1928)
孝行やり直し(1928)
万歳(1929)
鵜の目鷹の目(1929)
色気たっぷり(1929)
明け行く空(1929)
岡辰押切帳(1929)
壱〇〇、〇〇〇、〇〇〇円(1929)
愛して頂戴(1929)
女難歓迎腕くらべ(1929)
未完成の恋(1929)
全部精神異常あり(1929)
美人暴力団(1930)
たゝかれ亭主(1930)
好きで一緒になったのよ(1930)
あら!その瞬間よ(1930)
石川五右ヱ門の法事(1930)
奪はれた唇(1930)
海坊主悩まし(1930)
あら!大漁だね(1930)
恋の借金狂ひの戦術(1930)
色気だんご騒動記(1930)
煙突男(1930)
精力女房(1931)
この穴を見よ(1931)
女は強くて独りもの(1931)
何が彼女を裸にしたか(1931)
娘の意気高し(1931)
彼女の昂奮(1931)
深夜の溜息(1931)
モダン駕籠の鳥(1931)
三太郎満州出征(1932)
熊の八ツ切り事件(1932)
チャップリンよなぜ泣くか(1932)
トコ張さん(1932)
可愛い後家さん(1932)
女は寝て待て(1932)
スットン狂(1932)
大変な処女(1933)
彼女と金塊(1933)
奥様の猛力(1933)
男やもめの巌さん(1933)
あはてものの熊さん(1933)
和製キング・コング(1933)
しっかりせよと抱き起し(1933)
なめられた彼奴(1934)
出臍の力(1934)
噫薄情(1935)
子宝騒動(1935)
馬帰る(1935)
この子捨てざれば(1935)
爆弾花嫁(1935)
弥次喜多行進曲(1935)
新婚三塁打(1935)
わたしのラバさん(1936)
車に積んだ宝物(1936)
女は何故怖い(1936)
人生は六十から(1936)
老いて益々旺なり(1936)
幽霊が死んだら(1936)
黒豹脱走曲(1936)
泣かせてね(1936)
七転八起(1936)
七つ子誕生(1937)
恩愛二筋道(1937)
この親に罪ありや(1937)
吼えろ銀ちゃん(1937)
母の勝利(1937)
エノケン法界坊(1938)
水戸黄門漫遊記 東海道の巻(1938)
水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻(1938)
ロッパのおとうちゃん(1938)
ロッパの大久保彦左衛門(1939)
娘の願ひは唯一つ(1939)
思ひつき夫人(1939)
ロッパの子守唄(1939)
新婚お化け屋敷(1939)
東京ブルース(1939)
初笑ひ国定忠治(1939)
ロッパの駄々っ子父ちゃん(1940)
ハモニカ小僧(1940)
明朗五人男(1940)
親子鯨(1940)
子宝夫婦(1941)
人生は六十一から(1941)
素晴らしき金鉱(1941)
南から帰った人(1942)
磯川兵助功名噺(1942)
敵は幾万ありとても(1944)
突貫駅長(1945)
東京五人男(1945)
婿入豪華船(1947)
見たり聞いたりためしたり(1947)
浮世も天国(1947)
それはある夜のことだった(1948)
誰がために金はある(1948)
唄まつり百万両(1948)
野球狂時代(1948)
のど自慢狂時代(1949)
嫁入聟取花合戦(1949)
びっくり五人男(1949)
男の涙(1949)
あきれた娘たち(1949)
おどろき一家(1949)
ラッキー百万円娘(1949)
憧れのハワイ航路(1950)
続向う三軒両隣り どんぐり歌合戦(1950)
戦後派親爺(1950)
続向う三軒両隣り 恋の三毛猫(1950)
青空天使(1950)
東京キッド(1950)
天皇の帽子(1950)
とんぼ返り道中(1951)
海を渡る千万長者(1951)
初恋トンコ娘(1951)
母を慕いて(1951)
東京河童まつり(1951)
吃七捕物帖 一番手柄(1951)
女次郎長ワクワク道中(1951)
大当りパチンコ娘(1952)
唄くらべ青春三銃士(1952)
娘十八びっくり天国(1952)
腰抜け伊達騒動(1952)
トンチンカン三つの歌(1952)
歌くらべ荒神山(1952)
トンチンカン捕物帖 まぼろしの女(1952)
びっくり三銃士(1952)
底抜け青春音頭(1952)
珍説忠臣蔵(1953)
総理大臣の恋文(1953)
怪盗火の玉小僧(1953)
アジャパー天国(1953)
あっぱれ五人男(1953)
ひばり捕物帖 唄祭り八百八町(1953)
腕くらべ千両役者(1953)
かっぱ六銃士(1953)
びっくり太平記(1953)
勢揃い 大江戸六人衆(1953)
初笑い寛永御前試合(1953)
花祭底抜け千一夜(1954)
花吹雪御存じ七人男(1954)
宝さがし百万両(1954)
腰抜け狂騒曲(1954)
ハワイ珍道中(1954)
仇討珍剣法(1954)
怪猫腰抜け大騒動(1954)
浮かれ狐千本桜(1954)
爆笑青春列車(1955)
歌まつり 満月狸合戦(1955)
花の二十八人衆(1955)
お父さんはお人好し(1955)
親馬鹿子守唄(1955)
花ごよみ八笑人(1955)
けちんぼ長者(1955)
帰って来た幽霊(1955)
お父さんはお人好し かくし子騒動(1956)
お父さんはお人好し 産児無制限(1956)
お父さんはお人好し 優等落第生(1956)
お父さんはお人好し 迷い子拾い子(1956)
権三と助十 かごや太平記(1956)
泣き笑い土俵入り(1956)
恋すれど恋すれど物語(1956)
弥次喜多道中(1956)
金語楼の天晴れ運転手物語(1956)
一夜の百万長者(1957)
凸凹厳窟王 第一部 鬼月島(1957)
凸凹厳窟王 第二部 海賊船(1957)
体当り殺人狂時代(1957)
大江戸人気男(1957)
南蛮寺の佝僂男(1957)
坊ちゃん大学(1957)
青空特急(1957)
おけさ鴉(1958)
一丁目一番地 第一部(1958)
一丁目一番地 第二部(1958)
底抜け忍術合戦 俺は消えるぜ(1958)
勢揃い江戸っ子長屋(1958)
大笑い江戸っ子祭(1959)
爆笑水戸黄門漫遊記(1959)
社長野郎ども(1960)
殴り込み女社長(1960)
誰よりも金を愛す(1961)
私は嘘は申しません(1961)
大笑い次郎長一家 三ン下二挺拳銃(1962)

『斎藤寅次郎著『日本の喜劇王――斎藤寅次郎自伝』(2005・清流出版)』

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百科事典マイペディア 「斎藤寅次郎」の意味・わかりやすい解説

斎藤寅次郎【さいとうとらじろう】

映画監督。本名寅二郎。秋田県生れ。明治薬学校中退。1922年松竹蒲田撮影所に入社。《熊の八つ切り事件》(1932年),《この子捨てざれば》(1935年)などのナンセンス喜劇を監督する。一貫して喜劇を手がけ,1937年東宝移籍後も榎本健一主演の《エノケンの法界坊》(1938年),エンタツ・アチャコ,古川緑波主演の《東京五人男》(1945年),美空ひばり主演の《東京キッド》(1950年)など,有名俳優を起用した軽快な作品を発表した。三木のり平主演の《誰よりも金を愛す》(1961年)を最後に1962年引退。

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20世紀日本人名事典 「斎藤寅次郎」の解説

斎藤 寅次郎
サイトウ トラジロウ

昭和期の映画監督



生年
明治38(1905)年1月30日

没年
昭和57(1982)年5月1日

出生地
秋田県由利郡矢島町

本名
斎藤 寅二郎

経歴
大正12年松竹蒲田撮影所に入社。昭和12年東宝に移籍。サイレント映画から戦後の作品まで、松竹をはじめ東宝、新東宝、大映などで200本以上を手がけ、伴淳三郎出演の映画で“アジャパー”をはやらせるなどドタバタ喜劇に徹し、喜劇映画の神様ともうたわれた。斎藤映画で活躍した喜劇人は伴淳のほか花菱アチャコ、柳家金語楼、堺駿二、清川虹子ら、また主な作品には「アジャパー天国」「ハワイ珍道中」「この子を捨てざれば」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤寅次郎」の解説

斎藤寅次郎 さいとう-とらじろう

1905-1982 昭和時代の映画監督。
明治38年1月30日生まれ。大正11年松竹蒲田(かまた)にはいり,15年監督。のち東宝,新東宝にうつった。「子宝騒動」「この子捨てざれば」のほか,榎本健一,古川緑波(ろっぱ),伴淳三郎ら出演の200本以上のナンセンス喜劇をつくり,喜劇の神様とよばれた。昭和57年5月1日死去。77歳。秋田県出身。明治薬学校中退。本名は寅二郎。

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