新制作派協会(読み)しんせいさくはきょうかい

改訂新版 世界大百科事典 「新制作派協会」の意味・わかりやすい解説

新制作派協会 (しんせいさくはきょうかい)

美術団体。1935年の松田文相による帝展改組に反発した〈第二部会〉中の若手画家,伊勢正義,猪熊弦一郎内田巌小磯良平,佐藤敬,三田康,鈴木誠,中西利雄脇田和は,36年7月〈反アカデミックの美術精神に於て官展に関与せず〉と宣言して新制作派協会を結成した。美術家の画壇政治的な動きを嫌い,純粋な芸術運動をすすめようとするもので,藤島武二がこれを励まし,同年秋,第1回展を上野竹之台で開いた。翌年野田英夫,つづいて三岸節子,荻須高徳らを会員に迎えた。39年に本郷新,舟越保武佐藤忠良,柳原義達らの参加で彫刻部,49年に丹下健三谷口吉郎,前川国男らにより建築部が設けられ,51年には創造美術協会の合流で日本画部ができて会名を新制作協会に改めた。しかし74年に日本画部会員が脱退し,現在は絵画部,彫刻部,スペースデザイン部として毎年秋,公募展を開催している。
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百科事典マイペディア 「新制作派協会」の意味・わかりやすい解説

新制作派協会【しんせいさくはきょうかい】

新制作協会

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世界大百科事典(旧版)内の新制作派協会の言及

【明治・大正時代美術】より

…また同年,国画創作協会に彫刻が加わったとき,ブールデルに学んで帰国した金子九平次(くへいじ)(1895‐1968)が中心となったが,28年に同会が国画会に改組すると,高村光太郎,清水多嘉示(たかし)(1897‐1981),高田博厚(ひろあつ)(1900‐87)らが加わった。さらに,39年国画会彫刻部は解散するが,36年に結成された新制作派協会に,新進の本郷進,柳原義達,佐藤忠良(ちゆうりよう),舟越保武らが結集する。 明治・大正期の美術を通観すると,一般史におけると同じく,たえず西欧文明からの刺激にさらされ,近代化(西欧化)の過程をたどったことが大きな性格として浮かんでくる。…

※「新制作派協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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