新名爪別符(読み)にいなづめべつぷ

日本歴史地名大系 「新名爪別符」の解説

新名爪別符
にいなづめべつぷ

現新名爪・芳士ほうじを中心とする地域にあった豊前宇佐宮領の庄園。宇佐大鏡によれば、治暦二年(一〇六六)に国司菅原義資が国衙の責任で宇佐宮に納入すべき封物の一部の代替として那珂郡内の土地を区画して宇佐宮に寄進し、別符として成立した。この時点での国衙・宇佐宮双方への貢納関係は不詳であるが、日向の宇佐宮領全体が保延年間(一一三五―四一)には不輸化されているので(同大鏡)、これ以降は一円宇佐宮領になったとみられる。なお同大鏡は荒野を寄進し開発したとするが、現実には既存耕地を含む再開発であったと考えるべきである。安元二年(一一七六)二月日の二通の八幡宇佐宮符写(奈多八幡縁起私記)に新名爪・新名爪別符とみえ、六年に一度の宇佐宮行幸会の執行に必要な綾御船の水手のうち一人を竹崎たけざき別符と共同で、また同じく行幸会料の雑物として御服綿一屯・茜一斤など九品目の貢納を宇佐宮から請求されている。

当別符内の水田面積は宇佐大鏡によると、長承年間(一一三二―三五)には定田五九町一段四〇代、建久図田帳によれば国衙側の把握していた田代は八〇町、宇佐大鏡編纂時点で宇佐宮側が把握していた起請田の田数は六〇町であった。また応永三年(一三九六)の新名爪別符内検取帳写(新名爪八幡宮文書)によれば、畠地等と推測される重複表記部分を除いて、寺田神田が一四町七段四〇代、通常の年貢負担地である公方分が一一〇町九段二五代の総計一二五町七段一五代であった。同内検取帳写には当別符の範囲を具体的に示すものとして、小永田こながた中坪なかつぼ鼻切はなきれ長迫ながさこ山下やました(山下廻)地名がみえ、これらは現新名爪の小字などに残り、堺田さかいだ(境田)青水あおみず(青水)・芳士・岩屋田いわやだ(祝田)大雀おおすずめ(大雀池)小雀こすずめが現芳士に、大谷おおたにが現広原ひろわらにそれぞれ残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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