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文芸雑誌。1889年(明治22)1月~90年6月(第1期)、96年7月~1926年(大正15)11月(第2期)、27年(昭和2)1月から『黒潮(くろしお)』と改題したが同3月廃刊。その後1946年(昭和21)1月~50年6月復刊(第3期)。春陽堂刊。普通第2期をさす。『文芸倶楽部(くらぶ)』に対抗して明治文壇の二大雑誌とみられた。創刊当初は幸田露伴(ろはん)が主宰し、新人の育成と大作主義が特色。後藤宙外(ちゅうがい)、小栗風葉(おぐりふうよう)らが世に出た。宙外主宰の1900年(明治33)から約10年間が全盛期で、泉鏡花(きょうか)、夏目漱石(そうせき)、島崎藤村(とうそん)らの佳作を出した。大正期にも老舗(しにせ)らしい手堅さで、森鴎外(おうがい)、志賀直哉(なおや)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)ほかの名作を世に送った。戯曲、評論にも注目すべき作品がある。
[岡 保生]
1906年から10年ほどの間、朝鮮の開化期に現れた啓蒙(けいもう)的文学の一種。自主独立、民主主義、新教育、科学知識、迷信打破、婦権拡張といった近代思想や新文明の普及がテーマとなっているものが多い。文学史的には、李光洙(りこうしゅ/イグァンス)、崔南善(さいなんぜん/チェナムソン)による本格的近代文学を準備したものといえる。日本の政治小説や中国の晩清(しん)小説の影響も受けている。代表的な作家、作品として、李人稙(りじんちょく/イインジク)『血の涙』(1906)、『雉岳山(ちがくさん)』『鬼の声』『銀世界』、李海朝『自由の鐘』『鬢上雪(ひんじょうせつ)』、崔瓚植(さんはく)『秋月色』、安国善『禽獣(きんじゅう)会議録』、具然学『雪中梅』などがあげられる。このうち終わりの2編は日本の政治小説、田島象二『人類攻撃禽獣国会』、末広鉄腸『雪中梅』の翻案に近い。
[大村益夫]
…近代文学の出発点をどこに置くかについて異論はあるが,19世紀末・20世紀初頭とするのが通例である。20世紀初頭の開化期にあっては〈唱歌〉〈新体詩〉〈新小説〉が一世を風靡した。新小説とは,自主独立・近代的教育の必要性を説いた李人稙の《血の涙》(1906),因習打破・婦権拡張を説いた李海朝の《自由鐘》(1910)などをはじめ,社会的問題をテーマにして1916年ころまで書かれた一群の小説をさし,思想面でも文体面でも未熟ではあったが,4・4調や4・3調等で新しい社会事象をうたった唱歌,旧来の定形詩の枠を打ち破った新体詩と並んで,朝鮮に近代文学の萌芽をもたらしたものといえる。…
…彼は個人的に李完用に近く,小説中にも日本への過大な期待が溢れている。しかしながら20世紀初頭朝鮮に本格的近代文学の発生を準備した〈新小説〉の代表的作家としての彼の功績は大きい。自主独立・民主主義・新教育・婦人解放・自由恋愛等の近代思想を盛り込んであらわれた〈新小説〉の,最初にして最大の作家が李人稙といえよう。…
… 1885年に硯友社がおこり,続いて活版印刷による雑誌類が広まるにつれ,挿絵画家としては井上探景(安治),歌川国松らの浮世絵師のほかに,菊池容斎の《前賢故実》の影響をうけた渡辺省亭,三島蕉窓,武内桂舟,尾形月耕らが出た。《文芸俱楽部》《新小説》《都の花》などの挿絵,口絵で活躍し,尾崎紅葉の《金色夜叉》を手がけた武内桂舟(1861‐1943),小杉天外の《魔風恋風》を描いた梶田半古(1870‐1917)が特に人気を集めた。95年から96年にかけて創刊された博文館の《文芸俱楽部》,春陽堂の《新小説》は文壇への登竜門の役割を果たしたが,幕末合巻ものの極彩色錦絵がこれらの巻頭口絵に復活し,両誌は画家にとってもひのき舞台となった。…
…初め草双紙や絵草紙などの販売をしていたが,82年ころから草双紙などの出版を開始した。89年《新小説》を創刊したが,翌90年には廃刊となった。しかし,文芸書出版は続け,96年には第2期《新小説》を創刊した。…
※「新小説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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