日ソ通商条約(読み)にっソつうしょうじょうやく

改訂新版 世界大百科事典 「日ソ通商条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ通商条約 (にっソつうしょうじょうやく)

日本とソ連との間の戦争状態を終了させ日ソ共同宣言(1956)の第7項に従い,両国間の貿易関係の発展を促進する目的で,1957年12月,日ソ通商条約と貿易支払協定が締結された(1958年5月9日発効)。第2次世界大戦前にも,日ソ両国間の国交関係を樹立した日ソ基本条約(1925)以降,石油石炭に関する北樺太日ソ利権協約(1925,28),日ソ森林利権協約(1927),日ソ漁業条約(1928)などが調印された例があったが,通商条約の調印はこれが最初の例である。全文で15条の通商条約は,ソ連通商代表部の日本への設置,日本国民と法人のソ連における経済活動と身体および財産の保護を保障し,輸出・輸入,関税内国税などについては相互に最恵国待遇を与えることを規定している。しかし,その内容は日米通商航海条約(1953)に比べ,出入国や旅行・居住の自由の保障などを欠くものとなっている。条約は自動延長方式である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日ソ通商条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ通商条約
にっそつうしょうじょうやく

1957年(昭和32)12月6日に調印、58年5月9日に批准書交換、発効した日ソ間の通商に関する基本的な条約。正式には「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の通商に関する条約」。ソ連の崩壊の後、ロシア連邦がこの条約を継承した。前文と本文15か条のほか、付属書および交換公文が付属する。西側諸国間の通商航海条約が、入国、居住、社会保障、出訴権、財産の保護、経済活動の自由などに関して、広く内国民待遇または最恵国民待遇を規定するのに対し、日ソ通商条約ではこのような待遇の認められる範囲ははるかに狭い。

 他方で、ソ連では外国貿易の独占権が国家に属するという特殊性があったため、ソ連が通商代表部と、さらにその支部を日本の諸都市に置くことが認められてきた。日ソ通商条約とともに両国間で貿易支払協定が締結され、これまでたびたび更新されてきた。この協定に基づき、毎年日ロ貿易年次協議が行われているが、1985年に局長級から次官級協議に格上げされている。ちなみに日本の対ロ貿易額は2006年には輸出8213億6129万円、輸入7744億4645万円であった。

[石本泰雄]

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百科事典マイペディア 「日ソ通商条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ通商条約【にっソつうしょうじょうやく】

日ソ共同宣言とともに調印された日ソ通商航海議定書に基づいて締結された条約(1958年発効)。これにより従来の物々交換方式貿易がポンドによる現金決済方式となり,また外交的特権をもつ旧ソ連通商代表部が東京に設置された。ソ連崩壊後,ロシア共和国がその権利・義務を継承した。

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