日出城下(読み)ひじじようか

日本歴史地名大系 「日出城下」の解説

日出城下
ひじじようか

[現在地名]日出町日出

慶長六年(一六〇一)日出に入封した木下氏の居城日出城の城下町。別府湾に臨み、東部の入江日出湊がある。木下氏入封当時、当地一帯は仁王におう村とよばれており、そのうち南仁王に属する八日市ようかいち青柳あおやぎはま(日出湊を擁する地域)浮津うきつ赤坂あかさかの五小村域にまたがって城郭・侍屋敷・町家が形成され(図跡考)、町家地区としてうわ町・魚の店うおのたな髪剃かみそり町、した(紺屋町・宮町)北横きたよこ町・南横町・浜・うら町などが江戸中期頃までに成立していった。このほか八日市口に面してなかノ丁もあったが、藤原ふじわら口に近い裏町の東部とともに下級武士の居住区となっていた(同書など)元禄(一六八八―一七〇四)初年から始まった日出若宮八幡社の市は城下町の商業活動を活発化させた。寛政四年(一七九二)九月一五日から一〇日間開催された同社の市には売物店八二・見せ物六座が立ち、交易品は七島莚三八〇束・津並紙一二〇束・小紙二一〇束などであった。同八年九月の若宮八幡社の市は三日間に短縮されたにもかかわらず、売店九三を数え、見せ物には歌舞伎二座(一座は杵築、一座は大坂)・相撲・阿蘭陀覗きからくりなどが繰込み賑やかさをました(「木下俊懋公御書院番日誌」日出町立万里図書館蔵)

享保三年(一七一八)頃に八日市村の西外れに土居と簀戸すど口とが設けられ、八日市町・鷹匠たかじよう町の二町が形成されると、元文二年(一七三七)からは城下の西の太田たいだ浜にも荷揚げが許可され、それに近い八日市村の天満社にも市が立つようになり、城外の村であった八日市村は活気を帯び始めた。またこれまで八日市町を通っていた杵築きつき方面へ向かう道は、八日市町を迂回して後川うしろごうを経由するように付替えられた(「関蕉川手控」関家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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