日向館跡(読み)ひなたたてあと

日本歴史地名大系 「日向館跡」の解説

日向館跡
ひなたたてあと

[現在地名]富岡町本岡 日向

西の山岳地帯の遅沢おそざわからもと町にせり出す連続丘陵一角にある。永正(一五〇四―二一)頃、岩城親隆の四男富岡大和守隆時が当館を築いたという。山頂の平場は上館・下館の二段に造出され、東・南・北は急崖となる。西部は土塁を隔てて丘陵に連なる。さらに上館の東に対する低丘陵とが組合さって平山城を構成していた。天文三年(一五三四)相馬顕胤岩城氏の久保姫争奪をめぐり当館を攻略、以後三六年間相馬氏が領有

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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