日本二十六聖人殉教地(読み)にほんにじゆうろくせいじんじゆんきようち

日本歴史地名大系 「日本二十六聖人殉教地」の解説

日本二十六聖人殉教地
にほんにじゆうろくせいじんじゆんきようち

[現在地名]長崎市西坂町

キリスト教徒殉教の遺跡で、県指定史跡。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉によりバテレン追放令が出されたものの、南蛮貿易の継続のために禁教は不徹底であった。一五九七年(慶長二年)、フランシスコ会跣足派の宣教師六人・イエズス会員三人・日本人キリシタン一七人が長崎で十字架に懸けられて処刑されているが、長崎から見えるサン・ラザロ教会に近い高い丘で執行され、そこに十字架二五基が備えられ、頸や腕に五個の鉄環が付けられていたという(「ロレンソ・ペレス日本書簡」長崎市史)。この処刑のきっかけは慶長元年スペイン船が土佐国に漂着するというフェリペ号事件であり、秀吉は禁教を強化し弾圧を行ったが、同年一二月一九日京都・大坂で捕らえられたスペイン人フランシスコ会宣教師ペトロ・バプチスタら異国人六名、イエズス会修道士三木パウロら日本人二〇名のキリシタンが長崎まで連行され、西坂にしざかの十字架に架けられて殉教した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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