日本官公庁労働組合協議会(読み)にほんかんこうちょうろうどうくみあいきょうぎかい

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

日本官公庁労働組合協議会
にほんかんこうちょうろうどうくみあいきょうぎかい

公務員、公共企業体職員などの労働組合が結成していた協議会。略称官公労。1949年(昭和24)12月5日、民主化運動のなかで、全日本官公職員労働組合協議会(全官公)に反対する勢力として、日本教職員組合(日教組)、国鉄労働組合(国労)、全逓信(ぜんていしん)労働組合(全逓)、全国電気通信労働組合(全電通)、全印刷局労働組合(全印刷)、全日本自治団体労働組合協議会(自治労協)などによって官公庁労組の連絡協議機関として結成された。1953年5月、官公労と官労(官庁労働組合協議会。1951年7月結成、1953年6月解散)との協議が成立し、統一が実現した。以後、官公労は国家公務員、地方公務員、公共企業体関係労働組合の統一闘争組織として賃金、スト権問題などで成果をあげてきた。しかし、1953年に公共企業体等労働組合協議会(公労協)が結成されるに及び、官公労加盟単産の日本労働組合総評議会総評)加盟を進め、総評を軸とする統一を強化発展させるために、官公労は1958年8月に解散、総評内に公務員部会を発足させ、闘争の強化が図られることになった。こののち、公労協を除く国公・地公関係労組によって、1960年2月、日本公務員労働組合共闘会議公務員共闘)が結成された(1995年解散)。なお、官公労ということばはしばしば、民間労組に対する官公労組の総称として使用される場合がある。

[大野喜実・早川征一郎]

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百科事典マイペディア の解説

日本官公庁労働組合協議会【にほんかんこうちょうろうどうくみあいきょうぎかい】

略称は官公労。1949年全官公庁労働組合協議会(全官公)を脱退した政府・地方自治体・公共企業体の労働組合が結成した連絡協議体。全官公は1946年結成され,二・一ストに至る第2次大戦直後の労働運動中核だったが,政令201号による法的規制行政整理弱体化,反共的な民主化同盟の台頭で官公労が生まれたため1950年解体。官公労は全国組織労働者の1/3,総評(日本労働組合総評議会)傘下(さんか)労働者の2/3を占めたが,のち民間労組との共闘方針を確立,1958年解散して加盟単組は直接総評に参加した。
→関連項目公労協

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

日本官公庁労働組合協議会
にほんかんこうちょうろうどうくみあいきょうぎかい

中央と地方の公務員組合の連絡調整機関。略称,官公労。共産党支配排除を目指す民主化同盟派を中心に 1949年 12月結成されたが,日本労働組合総評議会 (総評) の活動と重複することが多くなり 1958年解散。構成組合はそれぞれ総評に加盟した。この機関とは別に,官公庁関係の労働組合を一般に官公労,官公労組と呼ぶことがある。

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世界大百科事典(旧版)内の日本官公庁労働組合協議会の言及

【公務員】より

…1986年,国営企業労働関係法に改正)の適用を受けることになった。 政府,地方自治体,公企体等の職員団体はその後,総評結成の流れのなかで,49年12月,日本官公庁労働組合協議会(官公労)に結集したが,社会党色の強い公企体労組と共産党色の濃い国家公務員諸組合との対立から前者が53年11月公労協を結成したため官公労は弱体化し,58年8月に解消した。その後,60年2月に国公共闘と地公共闘とによって日本公務員労働組合共闘会議(公務員共闘)が結成された。…

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