日知屋城跡(読み)ひちやじようあと

日本歴史地名大系 「日知屋城跡」の解説

日知屋城跡
ひちやじようあと

[現在地名]日向市日知屋

塩見しおみ川の河口左岸にあり、臼杵郡の重要な湊である細島ほそしま湊を押える交通上・軍事上の要衝に立地する。日向灘に突出したリアス状の伊勢いせヶ浜に面した岬に築かれ、西側以外の三方は海に囲まれている。平成元年(一九八九)の調査で海に面した尾根の東部の曲輪から一三世紀―一七世紀初頭の輸入陶磁器が出土しており、鎌倉時代からなんらかの施設が造築されていたと推定されている。

伊東氏は長禄元年(一四五七)の小浪川の戦で土持氏を滅ぼし、塩見川流域一帯を支配下に入れたとされ、文明六年三州処々領主記(都城島津家文書)に、伊東氏の持城「山東城」の一つとして「比知屋」城が記される。「日向記」によれば、一族の伊東祐邑が城主であったが、文明一八年(一四八六)に大友氏に通じて宗家に謀反したとして殺害されている。その後伊東宗家直轄の城として与力衆が組織され、天正年間(一五七三―九二)には「ひちや衆」として福永八郎・同周防守・同新三郎ら福永姓六名、多田紀伊介・中村壱岐守・大塚八郎・畠山主水・永嶺弥四郎・坂本右馬助・同七郎二郎などがいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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