日米防衛協力小委員会(読み)にちべいぼうえいきょうりょくしょういいんかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日米防衛協力小委員会」の意味・わかりやすい解説

日米防衛協力小委員会
にちべいぼうえいきょうりょくしょういいんかい

1976年(昭和51)7月8日の第16回日米安全保障協議委員会での合意によって設置された同委員会の下部機構。目的は「緊急時における自衛隊と米軍との間の整合のとれた共同対処行動を確保するために取るべき措置に関する指針を含め、日米間の協力のあり方に関する研究・協議」を行うこと。同小委員会は1977年4月18日の第4回会合で、補助機関として、作戦、情報、後方支援の三つの部会を設置した。同小委員会のメンバーは、日本側は外務省アメリカ局長、防衛庁(現、防衛省)防衛局長、自衛隊統合幕僚会議事務局長、米側は在日米大使館公使、在日米軍参謀長により構成され、「必要と認めるときは、適当な両国政府関係者の出席を認めることができる」とされている。この小委員会の設置に伴って、1968年12月23日の第9回日米安全保障協議委員会によって設立された「自衛隊と在日米軍との間の研究会同」は廃止された。同小委員会は1978年11月27日の第17回日米安全保障協議委員会に、8回の会合によって成案を得た「日米防衛協力のための指針」を報告、了承された。これによって、日米両政府は初めて、公式にまた公然と「有事の際」の「日米共同作戦計画案」を策定する道を開いた。なお、同小委員会は1983年3月12日に第9回会合を開催し、「シーレーン防衛」に関する「研究」を開始することを合意した。

 1996年(平成8)4月17日に発表された「日米安全保障共同宣言」(橋本龍太郎クリントン)で、1978年の日米防衛協力のための指針の「見直し」を決めたことから、日米防衛協力小委員会は同年6月28日に改組された。新たなメンバーは、日本側は外務省北米局長(共同代表)、防衛庁防衛局長(共同代表)、統合幕僚会議の代表、米側は国務次官補(東アジア担当、共同代表)、国防次官補(国際安全保障政策担当、共同代表)、在日米大使館、在日米軍、統合参謀本部太平洋軍の代表によって構成されることになった。また同時に、審議官・次官補代理レベルの代理会議を設置した。改組された日米防衛協力小委員会は5回にわたる会合と、7回にわたる同委員会代理会合を開き、新「日米防衛協力のための指針」を策定し、1997年9月23日の日米安全保障協議委員会で新指針を了承、発表した。なお、この協議委員会は防衛庁運用局長を日米防衛協力小委員会のメンバーとして新たに加えた。1998年1月20日には、米国防長官(コーエンWilliam S. Cohen、1940― )、外務大臣小渕恵三(おぶちけいぞう))、防衛庁長官(久間章生(きゅうまふみお)、1940― )の三者による会談が行われ、新指針に定められていた「日米包括的なメカニズム」を発足させた。日米防衛協力小委員会はこのメカニズムの一機構として組み込まれた。同委員会の略称は「SDC」である。

[松尾高志]

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