日色野村(読み)ひしきのむら

日本歴史地名大系 「日色野村」の解説

日色野村
ひしきのむら

[現在地名]豊橋市日色野町

本宮ほんぐう山山麓の台地が舌状に西にのびた先端にある。現在は豊川放水路右岸に位置する。天正一七年(一五八九)徳川家康の七ヵ条の定書(日色野区有)が残る。安永三年(一七七四)から田沼意次領、天明五年(一七八五)幕府領、享和三年(一八〇三)に吉田藩領となり明治に至る。天明七年の日色野村差出帳(同区有)による戸口は、四九戸、二一五人。蛤・藻草を入合浜で採取していた。

村域内の浄土宗花林山神泉寺は、三河国内神名帳によると、熊野権現社の社僧寺であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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