日野有範 (ひのありのり)
生没年:1302-63(乾元1-正平18・貞治2)
南北朝時代の貴族。父藤範は学問文章の道で鎌倉将軍家に仕え,次いで《建武式目》の起草者の一人ともなった異色の人物だが,有範も大学頭,治部卿という高官ながら室町幕府の禅律方(ぜんりつかた)頭人に起用されたばかりでなく,足利直義(ただよし)の政治思想に大きな影響を与えたといわれる。観応の擾乱(かんのうのじようらん)で直義党の一人として失脚するが,1357年(正平12・延文2)官に復帰し,従三位に叙せられている。
執筆者:笠松 宏至
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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日野有範(2) ひの-ありのり
1302-1364* 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
乾元(けんげん)元年生まれ。大学頭(かみ),治部卿などを歴任し,室町幕府の禅律方(ぜんりつかた)頭人に起用された。足利直義(ただよし)派であったため,観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で失脚するが,延文2=正平(しょうへい)12年従三位として復帰。のち正三位,式部大輔となる。貞治(じょうじ)2=正平18年12月1日死去。62歳。
日野有範(1) ひの-ありのり
?-? 平安時代後期の官吏。
日野有信の4男。親鸞(しんらん)の父。皇太后宮大進(だいじょう)。三室戸の大進と称された。崇徳(すとく)天皇の侍講をつとめた。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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