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日野資朝【ひの・すけとも】

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  • 朝日日本歴史人物事典の解説

  • 生年: 正応3 (1290)
    没年: 正慶1/元弘2.6.2 (1332.6.25)
    鎌倉後期公卿。父は権大納言日野俊光。後醍醐天皇側近。才学人に過ぐと称される。天皇親政のもと信任を受けて,元亨1(1321)年参議に,3年従三位,検非違使別当となった。同年勅使として鎌倉に下向した。天皇の討幕計画最初から参加し,運動専念した。日野俊基と共に,鎌倉幕府密偵を欺くために,多治見国長,花山院師賢,四条隆資らを招いて,しばしば無礼講と称する宴会を開いた。正中1(1324)年9月,北野天神社の祭礼の日に蜂起しようとしたが,討幕の謀議事前露見して六波羅探題に捕縛され,鎌倉へ護送,翌年8月には佐渡配流された。のち,元弘の変の失敗により,正慶1/元弘2(1332)年,天皇が隠岐に流された際,幕府は将来禍根を断つためと称して,佐渡守護本間入道に命じて,資朝を配所において斬首させた。死に臨んで資朝は,「まさに,首に白刃あたらんとす,截断する一陣の風」と偈したという。『太平記』は,資朝の子阿新丸(日野邦光)が,母の反対を押し切って佐渡に赴き,父に面会を求めたもののかなえられず,すでに謀殺されていることを知るや,父の仇を討ち,山伏に助けられ,商人船に乗って追っ手から逃れたと記している。
    (佐藤和彦)

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  • 世界大百科事典 第2版の解説

  • ひのすけとも【日野資朝】
     
    1290‐1332(正応3‐元弘2)
    鎌倉末期の公卿。新来の宋学(朱子学)を修めるなど,若くして才気煥発であり,花園天皇,続いて後醍醐天皇の知遇を得て,弁,参議を経て権中納言にすすんだ。この間,後醍醐天皇が記録所を開設するやその寄人に加えられ,また蔵人頭,検非違使別当等も務めた。こうして後醍醐天皇の大覚寺統にくみするようになり,持明院統の側に立つ,父の俊光や兄弟の日野資名・柳原資明とは別の道を歩むことになった。やがて後醍醐天皇が討幕を企図すると,日野俊基とともに策謀の中心となった。・・・

    ▼日野資朝について記述のある項目
     日野家【ひのけ】 花園天皇【はなぞのてんのう】 正中の変【しょうちゅうのへん】

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  • デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

  • 日野資朝 ひの-すけとも
     
    1290-1332 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
    正応(しょうおう)3年生まれ。日野俊光の次男。日野資名の弟。従三位,権(ごんの)中納言。後醍醐(ごだいご)天皇の側近として,日野俊基らとともに天皇の討幕計画(正中(しょうちゅう)の変)にくわわり,謀議が発覚して捕らえられ佐渡に流された。再度の討幕計画(元弘(げんこう)の乱)が失敗して天皇が隠岐(おき)に流された際,正慶(しょうきょう)元=元弘2年6月2日配所で殺された。43歳。
    格言など】五蘊(ごうん)仮に形を成し 四大今空に帰す 首(こうべ)を将(も)って白刃に当つ 截断(さいだん)一陣の風(辞世)
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    (C)Kodansha 2009.
    書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

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  • 百科事典マイペディアの解説

  • 鎌倉末期の公卿(くぎょう)。俊光の子。後醍醐天皇に信任され,討幕計画に加わったが,1324年計画が幕府側にもれて捕らわれ(正中の変),鎌倉に幽閉されたのち佐渡に流罪 (1290-1332)
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  • デジタル大辞泉の解説

  • ひの‐すけとも 【日野資朝】
     
    [1290~1332]鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇登用され、日野俊基らと討幕計画を進めたが、六波羅探題探知されて、佐渡に配流(正中の変)。のち、佐渡で斬られた。
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  • 大辞林 第三版の解説

  • ひのすけとも【日野資朝】
     
    (1290~1332) 鎌倉末期の廷臣。俊光の子。後醍醐天皇に登用され,参議・権中納言などを歴任。討幕運動の中心人物となったが,1324年計画が露顕して捕らえられ,佐渡に流されて処刑された。

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