…早くに海外を巡演した者も多く,たとえば江戸新吉原に住む浜碇定吉は,1867年(慶応3)にアメリカを経由してパリ万国博覧会へ出演。一方京都の早竹虎吉は,1866年に渡米して68年に没。その弟が2世虎吉を継ぎ,74年に東京で大評判をとった。…
…また福招きの人形として知られる〈叶(かのう)福助〉の流行にのって,文化1年(1804)春には,生福助の見世物が最も人気があった。幕末には,竹沢藤治の曲独楽や早竹虎吉の軽業の類が,歌舞伎の所作事の振(ふり)を取り入れて〈高小屋物〉と称して,見世物の第一等の地位を占めた。 明治時代になると,力持,女角力,足芸,猿芝居,ろくろ首,化物屋敷などの従来のもののほかに,西洋から輸入した玉乗り,曲馬,魔術などが加わった。…
※「早竹虎吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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