昆陽村(読み)こやむら

日本歴史地名大系 「昆陽村」の解説

昆陽村
こやむら

[現在地名]伊丹市昆陽一―八丁目・昆陽・昆陽泉町こやいずみちよう一―五丁目・昆陽池こやいけ一―三丁目・千僧せんぞ一丁目・同六丁目・千僧・鈴原町すずはらちよう三―八丁目・美鈴町みすずちよう一―五丁目・堀池ほりいけ寺本てらもと四―五丁目・昆陽北こやきた一丁目・まつおか一―四丁目・奥畑おくはた五丁目・池尻いけじり四丁目・中野西なかのにし一丁目・みずおか一―四丁目・瑞穂町みずほちよう六丁目・広畑ひろはた六丁目・野間北のまきた一丁目・行基町ぎようきちよう二―三丁目

千僧村の西に位置する。山陽道が東西に通り、有馬ありま(現神戸市北区)への道が交差する宿場町として発展した。小屋村(慶長国絵図)・崑陽宿村(正保郷帳)とも。「和名抄」所載の武庫むこ児屋こや郷、古代中世の昆陽・崑陽野の遺称地で、小屋こや庄が成立した。文禄三年(一五九四)片桐且元によって検地が行われた(「法巌寺口上」法巌寺文書)ひがし町・なか町・大工だいく町・市場いちば町・つじ町・佐藤さとう町・小井内こいのうちの七町があり、各町に庄屋・郷蔵を置き、五人組帳も別に作成した(「昆陽組邑鑑」昆陽農業協同組合文書、「市場町五人組帳」村上家文書)正保郷帳はほかに枝郷として堀池村沢田さわだ新田をあげるが、沢田新田はのちの新田中野しんでんなかの村の一部とみられ、寛永一二年(一六三五)には小屋野沢田新田一〇五石余の年貢免状(新田中野部落有文書)が別になっている。新田中野村内に当村直開の昆陽野開三三石余があった(昆陽組邑鑑)。堀池村もまもなく独立した。堀池村を除く当村の領主の変遷は千僧村に同じ(伊丹市史)。慶長国絵図では高一千三九四石余、正保郷帳の高一千三六八石余(堀池村を含む)、ほかに沢田新田高五三石余。天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳(堀池村は別)では佐藤町村高二〇二石余・東町村高一一六石余・中町村高一〇八石余・市場町村高二五三石余・大工町村高一一〇石余・辻町村高三四五石余・小井内村高一〇六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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