出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
室町時代の平曲(へいきょく)演奏家。平曲一方(いちかた)流の祖如一(じょいち)の弟子で、幼年時に失明したとも、中年で失明して平曲家になったともいわれる。また、足利尊氏(あしかがたかうじ)の従兄弟(いとこ)で、尊氏から明石を領地として与えられ、明石姓を名のるようになったともいわれる。『平家物語』の曲節を改作、増補し、室町期における平曲の黄金時代の基礎を固めた。後醍醐(ごだいご)天皇、光明(こうみょう)院、崇光(すこう)院などの寵(ちょう)厚く、また『太平記』には、高師直(こうのもろなお)の前で平曲を語ったという記述がみられる。盲人の団体である当道職屋敷を創設し、総検校の地位についたらしい。門弟に、通一、霊一、清一、景一などがいる。
[由比邦子]
…13世紀半ば過ぎ,平曲の伝承が筑紫出身の如一の率いる一方流と,城玄率いる八坂流の2流にわかれるが,如一の系統は名前に〈一〉をつけるところから〈一方流〉とよばれた。如一とその弟子明石覚一(?‐1371)は,建礼門院関係の章段5曲を集めて〈灌頂巻〉と名づけ,それを神聖視することによって平曲を権威づけるほか,詞章にも聞かせどころを多くするための改変・増補を加え,長く後世に伝えるための決定本の編纂を目ざした。その結果完成されたのが《覚一本》で,今日語り継がれている平曲の大もとがここで作られた。…
…これらの座頭は,座に加わった年数や年齢によって座役をつとめ,その回数が功労となって座頭となるのが普通である。(2)室町時代に盲人の琵琶法師明石覚一によって形成されたと伝える当道座(当道)は,雨夜(あまよ)尊(仁明天皇の皇子人康親王)を始祖とするという琵琶法師の座であった。座頭はこの当道座に設けられた四官(検校(けんぎよう),別当,勾当(こうとう),座頭)の最下位。…
…流祖は一方流(いちかたりゆう)師道派の波多野検校。江戸時代初期に各種あった平曲の伝本を,一方流平曲の大成者である明石覚一(?‐1371)の詞章に戻す動きが起こり,師道派の山中久一検校はじめ,一方検校衆によって〈流布本〉が作られた。山中検校の弟子波多野検校はこの〈流布本〉をもとに独自の台本を作り,〈流布本〉を受け入れなかった前田流と対立した。…
…以後,八坂流はあまりふるわず,平曲は一方流を中心に伝承されていく。如一は《平家物語》の詞章の改訂に着手したが,その弟子で〈天下無雙(むそう)の上手〉といわれた明石覚一(あかしかくいち)(?‐1371)はさらに改訂・増補を重ね,〈覚一本〉とよばれる一本を完成し,一方流平曲の大成者として以後の平曲隆盛の基盤をつくった。このころ,平曲を語る盲人たちは,〈当道(とうどう)〉という座を結成し,お互いの縄張りを確保するようになるが,覚一は文献上最初の検校(当道座の最高位)であり,当道の祖といわれる。…
…流祖は一方流(いちかたりゆう)師道派の前田検校。江戸時代初期,各種あった平曲の詞章を一方流平曲の大成者明石覚一(?‐1371)の詞章に戻す動きが起こり,山中久一検校はじめ一方検校衆によって〈流布本〉が作られた。このとき同じ師道派の高山誕一検校はこれに反対,師伝を重んじる態度を固守して対立した。…
…これらの琵琶法師たちの語りは,布教・勧進のための唱導諸芸能の組織化を図る旧仏教の意図も関与して,《平家物語》として集大成されるに至る。しかしその語りを芸能の域にまで磨き上げたのは〈天下無雙の上手〉といわれた明石覚一(かくいち)(1371没)を頂点とする有名無名の盲目琵琶法師たちであった。室町時代の琵琶法師たちは諸国を巡って武士や民衆に平家を語りかけ,また地方の民謡を都に持ち帰って洗練し,表芸である平曲のほかに流行歌(はやりうた)や小歌・早物語などに才芸を尽くして貴賓や町衆に迎えられた。…
※「明石覚一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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