日本歴史地名大系 「明神池」の解説
明神池
みようじんいけ
「地下上申」およびその添付絵図に「御池」と記され、「八江萩名所図画」は「御茶邸の池」とするが、土地の人は「御茶屋の池」と称した。池の東畔に藩主の休息用の御茶屋が設けられていたためである。大正末年頃から池畔の
文久三年(一八六三)八月一八日の政変によって長州に下った三条実美は、同年一一月藩主毛利敬親に誘われて
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「地下上申」およびその添付絵図に「御池」と記され、「八江萩名所図画」は「御茶邸の池」とするが、土地の人は「御茶屋の池」と称した。池の東畔に藩主の休息用の御茶屋が設けられていたためである。大正末年頃から池畔の
文久三年(一八六三)八月一八日の政変によって長州に下った三条実美は、同年一一月藩主毛利敬親に誘われて
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…また梓川の流域はニホンカモシカやツキノワグマなどの野生動物やイワナなどの川魚の宝庫で,冬には狩猟,夏には漁労のため上高地に入る人々も多く,現存する嘉門次小屋は,猟師小屋の典型であった。明治中ごろから昭和初めまで徳沢から明神池,小梨平にかけて,国有林を借りて夏の間牛が放牧されていたが,上高地の観光地化とともに廃止された。その際利用された牛番小屋が徳沢園である。…
※「明神池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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