日本歴史地名大系 「星田庄」の解説
星田庄
ほしだのしよう
交野市内を北西流する
保元元年に近隣の御牧(院御領福御牧か)と当庄との相論について当庄の訴えが出され、院司播磨守清盛はその解状に裁許の外題を加えて、「件郷」(星田庄)が故鳥羽院の沙汰により御牧内でないことを、本所興福寺に伝える書状を送っている(前掲平清盛書状)。この相論は保元四年にも再発し、同年正月二二日、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
交野市内を北西流する
保元元年に近隣の御牧(院御領福御牧か)と当庄との相論について当庄の訴えが出され、院司播磨守清盛はその解状に裁許の外題を加えて、「件郷」(星田庄)が故鳥羽院の沙汰により御牧内でないことを、本所興福寺に伝える書状を送っている(前掲平清盛書状)。この相論は保元四年にも再発し、同年正月二二日、
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