朝日日本歴史人物事典 「星野良悦」の解説
星野良悦
生年:宝暦4(1754)
江戸中期の蘭方医。名は範寧,号は子康,柳子。安芸国広島の医家に生まれ,家業を継ぐ。工人原田孝次に日本で初めて桐の木を細工して精巧な人体骨格の模型を作らせる。寛政10(1798)年この木骨を持参して江戸に出る。『解体新書』(1774)が刊行され,その内容の真偽が定まらない時期に桂川甫周,杉田玄白,大槻玄沢に木骨を見せ,蘭書に誤りのないことを示した。帰郷してさらに1体を作り,寛政12年幕府に献上,賞金30両を賜る。これを契機に広島と江戸との蘭学知識の交流が始まり,門下に中井厚沢らが育った。木骨は藩医三宅董庵や後藤浩軒の後裔が所有,現在は広島県立美術館に保管されている。<参考文献>「星野良悦『身幹儀説』」(『広島県史・近世資料篇』Ⅵ),江川義雄『広島県医人伝』1集
(江川義雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報