曳馬野(読み)ひくまの

世界大百科事典(旧版)内の曳馬野の言及

【三方原】より

…東側の浜北や富岡の段丘は隆起運動の跡を示す。 乏水性の地形のため台地は曳馬野(ひくまの)と呼ばれた入会採草地であったが,1869年(明治2)士族授産を目的とする開墾で茶園の造成が始まり,気賀林(きがりん)(1810‐83)によって〈百里園〉が開かれた。また昭和初期には飛行第7連隊が置かれ爆撃演習場となった。…

※「曳馬野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」