更木村(読み)さらきむら

日本歴史地名大系 「更木村」の解説

更木村
さらきむら

[現在地名]北上市更木町 更木

北上盆地中央部の平坦な沖積地を東と南から丘陵が取囲む地域にある。西は北上川を隔てて成田なりた村・二子ふたご村。地名はアイヌ語で麓を洗うことを意味するとする説がある(旧更木村誌)。古くは北上川が東部山麓を洗うように流れており、河道が西に移ったのちも洪水の被害を受けてきたのでうなずける説である。縄文時代後期の八天はつてん遺跡(国指定史跡)、平安時代の大竹おおたけ廃寺(県指定史跡)がある。

応永二五年(一四一八)正月五日、八重樫民部少輔が和賀弾正薩摩守から更木郷のうち一七貫文を宛行われた(「和賀弾正薩摩守知行状」八重樫文書)。和賀氏の本城二子城の東方対岸、永昌えいしよう寺から東へ上ること三、四百メートルの山上にうめさわ館跡がある。和賀氏が和賀郡に下向した当初居館にしたと伝えるが(和賀稗貫郷村誌・和賀郡誌)、山上はあまりにも狭小な場所である。一六世紀には梅ヶ沢氏の居館であったと思われる(北上市史)。天正九年(一五八一)一月の和賀氏分限録(小田島家記録写)によると梅沢近助が二〇〇石を知行しており、同年一月の和賀氏家臣紋印事(同記録写)に天王館梅ヶ沢氏とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報