月ヶ瀬城跡(読み)つきがせじようあと

日本歴史地名大系 「月ヶ瀬城跡」の解説

月ヶ瀬城跡
つきがせじようあと

[現在地名]虎姫町月ヶ瀬

戦国時代、浅井氏の出城で、月瀬播磨守・同若狭守が拠ったとされる。城跡を東畑ひがしばたに比定する説もあるが、じよううちを含む一帯と考えられる。遺構はない。永享一一年(一四三九)四月二五日の長浜八幡宮塔供養奉加帳(東浅井郡志)の「引馬次第」に「月瀬之山階殿」とみえる。長享元年(一四八七)五月には京極高清と敵対していた多賀宗直(大成)中野なかのに軍を進めて惨敗、「月瀬」で自刃して果てている(「江北記」同月一日条)。天文二二年(一五五三)六月、城主月瀬若狭守は坂田郡上坂こうざか(現長浜市)相撲庭すまいにわ(現浅井町)あね川の井水をめぐる相論において、浅井久政の意を受けて調停に当たっている(同月二二日「浅井長政下知状」宮川文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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