出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
封建社会時代に行われた男子の髪結い法の一種。頭髪の蒸れによって、のぼせるのを防ぐために編み出されたもので、頭髪を額から百会(ひゃくえ)(頭の中央部)にかけて剃(そ)り上げることである。最初は半月のような形をしていて、中剃り的なものであった。元来、公家(くげ)、武家ともに日常生活で頭に冠(かんむり)や烏帽子(えぼし)を着用したが、戦乱が続くようになって、甲冑(かっちゅう)姿で頭が蒸れるところから、百会に月代をあけ、戦いが終わると同時にもとに戻していた。しかし、室町時代に入って応仁(おうにん)の乱など戦いが長く続くようになってからは日常化し、それがいつとはなく、戦乱が終わったのちでも、月代をあけておくのが習わしとなった。それも最初は小さな月代であったのが、だんだんと大きくなっていった。
月代は剃刀(かみそり)で剃(そ)るのではなく、天正(てんしょう)年代(1573~92)まで毛抜きを用いて頭髪を抜いたのである。つまり月代の拡大化は、露頂の風潮を増長し、江戸時代に入って、さまざまの髷(まげ)形を生んだ。しかし明治に入って、1871年(明治4)の散髪令により、月代の風習は廃れていった。
[遠藤 武]
男性の髪形の部分名称。中世の貴族たちが烏帽子や冠をつける場合,額に毛髪が見えぬように毛を抜いたのが始まりという。本格的に広く剃り上げるようになったのは戦国時代で,武士たちが戦場で兜をかぶると,熱がこもって気が逆上するため,頭上を丸く剃り気を抜いたというのが定説となっている。この風習は江戸時代まで続き,元禄期(1688-1704)ころまでは頭上を広く剃り上げ,後期になるに従い剃り上げの部分が徐々にせまくなる傾向にあった。武士から始まった月代の風習は江戸時代の太平の世にも行われ,一般男子に定着して1871年(明治4)の断髪令まで続いた。
→髪形
執筆者:橋本 澄子
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「つきしろ」とも。月額(つきびたい)とも。男性の前額部から頭頂部にかけての髪を剃ったもの。起源は諸説あり,中世の貴族が冠や烏帽子(えぼし)をかぶるとき,額の髪がみえないように半月形にしたことから名づけられたとも,戦の際に逆気(さかいき)をぬき,兜(かぶと)のむれを防いだことからともいわれる。中世末からは露頂の風俗となり,毛抜や剃刀(かみそり)を用いて日常的に行われるようになると,月代剃りを職業とする髪結も登場した。江戸時代には庶民にも定着して成人のしるしとなり,1871年(明治4)の断髪令まで続いた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…長い髪を頭上や後頭部に束ねた束髪は雑兵など身分の低い者にみられ,唐輪は後世の稚児髷のような髪形で,鎌倉時代ごろから武家の若党や稚児などが結った。また鎌倉時代からは,額から頭頂にかけて髪を円く剃りあげる月代(さかやき)の風習も武家の間で広まった。この形の起りは諸説あるが,戦場で冑をかぶるおりに熱気がこもるためというのが定説になっている。…
※「月代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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