朝鮮使節(読み)ちょうせんしせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝鮮使節」の意味・わかりやすい解説

朝鮮使節
ちょうせんしせつ

朝鮮来聘使,朝鮮信使,朝鮮通信使ともいう。江戸時代,主として将軍の襲職ごとに祝賀のために来朝した朝鮮からの使節豊臣秀吉の朝鮮出兵以降両国の講和が長く懸案となっていたが,慶長 10 (1605) 年朝鮮使節の伏見城での徳川家康との会見で国交回復がみられ,同 12年対馬藩を介して最初の江戸訪問が行われた。その当初3回はなお朝鮮国王が江戸幕府を対等の主権者と認めていなかったが,寛永 13 (36) 年からは通信使の名を用いた。鎖国下唯一の外交関係を維持した相手国だけあって,幕府は威信をかけ,その処遇は丁重をきわめ,その費用は毎回 100万両にも達したという。正徳1 (1711) 年の来聘にあたって,新井白石はその経費節減のための大改革を行い,あわせて将軍の称呼を「大君」から「国王」に改め,「来朝」という表現を「来聘」に改めた。以来,その簡素化の傾向は幕府財政の窮迫と相まって漸次進み,11代将軍徳川家斉の文化8 (1811) 年には,対馬で応接した。その回数はこれを最後に 12回に及んだ。

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