日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
朝鮮半島エネルギー開発機構
ちょうせんはんとうえねるぎーかいはつきこう
Korean Peninsula Energy Development Organization
アメリカと北朝鮮との合意に基づき、1995年3月核兵器問題解決のため設立された国際共同事業体(コンソーシアム)。略称KEDO(ケドー)。
1990年代の初めごろから、北朝鮮が秘密裏に核兵器を開発しているのではないのかとの疑いが強まり、世界的な核拡散防止および北東アジアの平和と安定の観点から深刻な懸念が生じた。この問題解決のため、国際原子力機関(IAEA)や国連安全保障理事会が乗り出したが、はかばかしい結果が得られず、その後アメリカと北朝鮮との二国間交渉にゆだねられた。この米朝交渉も難航したが、結局元アメリカ大統領のカーターと北朝鮮の金日成(きんにっせい/キムイルソン)主席(当時)の会談で解決の大筋が合意され、1994年10月両国の間で「枠組み合意」が成立した。
この「枠組み合意」によると、北朝鮮側は核兵器の素材であるプルトニウム製造に容易な黒鉛減速炉と、プルトニウムを取り出す再処理施設の運転および建設を中止・凍結し、将来的には解体する。そのかわりにアメリカ側は国際コンソーシアムを組織して100万キロワットの軽水炉2基を北朝鮮側に有利な条件で建設し、それが完成するまでの間、年間50万トンの重油を無償で提供することになった。この国際コンソーシアムとして正式に発足したのが、KEDOである。
軽水炉建設作業は、1997年8月北朝鮮の首都平壌(へいじょう/ピョンヤン)の北東約270キロメートルの日本海岸咸鏡南道(かんきょうなんどう/ハムギョンナムド)の琴湖(クムホ)地区の敷地で起工式が行われた。必要資金はおおよそ46億米ドルと見積もられ、そのうち韓国が中心的役割を果たし、日本も10億米ドルを負担することになった。重油提供のほうは主としてアメリカが負担することになった。
「枠組み合意」が成立した後も北朝鮮の核開発疑惑は完全に払拭(ふっしょく)されず、KEDOは、北朝鮮の核問題解決の現実的な施策を実務的に進める機構として順調な運用が期待された。2002年9月の時点で、日本、アメリカ、韓国(大韓民国)3か国と、後から加わったヨーロッパ連合(EU)を中核とし、アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、チリ、ウズベキスタン、インドネシア、ニュージーランド、ポーランド、チェコの12か国1機関より構成され、本部はニューヨークに置かれていた。
しかし、2002年10月北朝鮮はアメリカに対し、高濃縮ウラン製造施設の建設を含む核兵器開発計画があることを認め(その後一転して否定)、アメリカは「枠組み合意」が無効になったとの認識を明らかにした。これを契機として核兵器開発疑惑が再び深刻化したため、KEDOは2002年12月に重油供給を停止、さらに2003年12月より軽水炉プロジェクトを停止し、北朝鮮の対応改善を待った。しかし、その後、2005年2月には北朝鮮が核兵器保有宣言を行うなど、軽水炉プロジェクトを推進する基礎が完全に失われたと判断するに至ったため、2006年5月、KEDOは軽水炉プロジェクトの終了を正式に決定した。
[遠藤哲也]