本堀村(読み)もとほりむら

日本歴史地名大系 「本堀村」の解説

本堀村
もとほりむら

[現在地名]神埼町大字本堀字本堀

城原じようばる川のやや東方、神埼宿東南、標高五メートル弱の平野部に位置する。

正応二年(一二八九)の蒙古合戦勲功地配分状(武雄鍋島家文書)に「一人肥前国墓崎後藤十郎宗明 法師子息五郎頼明 畠地土師郷加納 本告郷本堀里」とある。元徳元年(一三二九)一二月一二日の東妙寺文書に「めうほうし(妙法寺)にほんもつかへしにうりたてまつるめんでんの事、合四反四丈定あり ひせんのくにかんさきのしやうもとほりのかう(本告郷) もとほりかり(本堀里)廿一つほ」とあり、さらに建武二年(一三三五)六月日付の東妙・妙法両寺寺領坪付注文写(東妙寺文書)に「妙法寺領 一、多久五郎入道子息道文 土師郷本堀里」とみえているなど、鎌倉末期から建武新政にかけての文書中に「本堀里」の名がみえる。


本堀村
もとほりむら

[現在地名]矢掛町本堀

小田村の東、東流する小田川左岸に位置し、南は浅海あすみ村。南域を山陽道が横断する。検討の余地は残るが「小田郡誌」に収める天正三年(一五七五)一二月一八日の毛利輝元宛行状に「弐百貫 本堀村」とある。「小田物語」によれば、大坂侍酒井下総(坂井成利)が慶長一七年(一六一二)から四年間、当村を領した。寛永備中国絵図では高五七三石余、松山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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