本多 日生(読み)ホンダ ニッショウ

20世紀日本人名事典 「本多 日生」の解説

本多 日生
ホンダ ニッショウ

明治〜昭和期の僧侶 日蓮宗管長。



生年
慶応3年3月13日(1867年)

没年
昭和6(1931)年3月16日

出生地
播磨国(兵庫県)

経歴
姫路藩・国友氏の出身母方の檀那寺姫路の日蓮宗妙満寺派妙善寺・本多日境の姓を継ぎ、12歳で出家。明治19年上京、哲学館(のちの東洋大学)に学ぶ。23年妙満寺派(のちの顕本法華宗)教務部長となる。急進的な宗門改革を唱え、一時宗門を追放されが、28年復籍。38年管長。42年日蓮主義を研鑽する天晴会を結成、44年同様に女性対象の地明会を創り門下統合、布教に尽くした。大正7年労働者を対象に自慶会を、昭和3年国民対象の知法思国会を組織し、田中智学とともに近代日蓮教団の国家主義の傾向を体現した。著書に「大蔵経要義」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多 日生」の解説

本多日生 ほんだ-にっしょう

1867-1931 明治-昭和時代前期の僧。
慶応3年3月13日生まれ。明治23年日蓮宗(にちれんしゅう)妙満寺派(のちの顕本法華宗)の教務部長となる。急進的な宗門改革をとなえ,一時宗門を追放される。38年管長。天晴会,地明会を組織して門下統合,布教につくした。昭和6年3月16日死去。65歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。俗姓は国友。幼名は長次。著作に「大蔵経要義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例