本石灰町(読み)もとしつくいまち

日本歴史地名大系 「本石灰町」の解説

本石灰町
もとしつくいまち

[現在地名]長崎市本石灰町・船大工町ふなだいくまち丸山町まるやままち

油屋あぶらや町の西にある長崎そと町の一ヵ町で、船手に属した。町並はほぼ東西に形成され、北東思案しあん橋によって出来鍛冶屋できかじや町に通じ、南は丸山町に隣接する。思案橋付近の一帯浜崎はまさきと称され、埋立てて銅座が造成される以前は海に臨み、石灰の荷揚げ地で、石灰業者が集住していた。はじめ石灰町と称したが、今石灰いましつくい町の起立により改称した。町域に矢柄に用いる竹が生えていたことから矢柄やがら町とも称され、また丸山町と接していた頃に片平かたひら町とも通称されていたという。慶長二年(一五九七)頃本石灰町衆が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人抜書」橋村家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android