本興善町(読み)ほんこうぜんまち

日本歴史地名大系 「本興善町」の解説

本興善町
ほんこうぜんまち

[現在地名]長崎市興善町

後興善うしろこうぜん町の南にある長崎うち町の一ヵ町で、陸手に属した。町並は東西に形成され、東は豊後ぶんご町、西はほり町に接する。町立ては長崎代官の村山等安や筑前博多から来住した末次興善によると伝え、町名もそれに由来するという。はじめ興善町と称したが、後興善町の起立に伴い本興善町と改めた。あるいは初代の末次平蔵政直が居住したのは金屋かなや町で、同町はのち興善町と改めたともいう。天正一六年(一五八八)豊臣秀吉直轄領となり、地子銀が免除された。慶長九年(一六〇四)八月末次平蔵は安南向けの朱印状を徳川家康から給付されて渡航しているのをはじめ(「異国御朱印帳」増訂異国日記抄)、元和六年(一六二〇)・同八年・同九年、寛永三年(一六二六)・同五年にも渡海、二代目の平蔵茂房が同八年・同一〇年・同一一年に台湾・交趾などに通交している。元和八年のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付に「本かうせん町」のキリシタン「ろれんそ」が署名している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android