本間 俊平(読み)ホンマ シュンペイ

20世紀日本人名事典 「本間 俊平」の解説

本間 俊平
ホンマ シュンペイ

明治〜昭和期の信徒伝道者,社会事業家



生年
明治6年8月15日(1873年)

没年
昭和23(1948)年8月13日

出生地
新潟県

経歴
大工徒弟となり、会津、仙台などで働き、明治24年植村正久らの伝道演説会で感動。27年大倉土木組に入り、幹部の一人の導きでキリスト教信仰、30年留岡幸助から受洗。留岡の感化で不良青少年更生尽力。山口県秋吉で大理石採掘作業をしながら巡回伝道を開始、監獄・癩病院・軍需工場などを訪問伝道。昭和6年全国各地で講演、10年月刊誌「高輪だより」を発行、信仰を広めた。“秋吉台聖者”と呼ばれ、森鷗外の「鎚一下」は本間がモデルといわれる。著書に「一石工の信仰」「恩寵追懐」「恩寵の旅路」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間 俊平」の解説

本間俊平 ほんま-しゅんぺい

1873-1948 明治-昭和時代のキリスト教伝道者。
明治6年8月15日生まれ。少年時代に大工の徒弟となり,明治27年東京大倉組に入社。30年留岡幸助より受洗。のち山口県秋吉に移住,大理石採掘所を創設して出獄者や非行少年の更生につくし,また全国各地で巡回講演,訪問伝道をおこなった。森鴎外(おうがい)の短編「鎚一下」のモデル。昭和23年8月13日死去。76歳。新潟県出身。

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