本間 英一郎(読み)ホンマ ヒデイチロウ

20世紀日本人名事典 「本間 英一郎」の解説

本間 英一郎
ホンマ ヒデイチロウ

江戸時代末期〜昭和期の鉄道技術者



生年
嘉永6年12月17日(1854年)

没年
昭和2(1927)年10月29日

出生地
筑前国福岡(福岡県)

学歴〔年〕
マサチューセッツ工科大学卒

経歴
福岡藩士・本間源水の子として生まれる。慶応元年藩命により長崎英学を学び、明治2年土木研究のために米国へ留学。7年帰国し海軍省を経て、13年工部省鉄道局に務める。27年官を辞し、総武鉄道、北越鉄道、東武鉄道、北海道鉄道各社の技師長、社長顧問、取締役などを歴任、鉄道敷設に従事した。37〜38年及び40〜41年鉄道調査のため中国の華南上海朝鮮元山平壌などに赴いた。その後も足尾鉄道の調査に従事するなど日本の鉄道界に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間 英一郎」の解説

本間英一郎 ほんま-ひでいちろう

1854*-1927 明治-大正時代官吏,鉄道技術者。
嘉永(かえい)6年12月17日生まれ。長崎で英学をまなぶ。明治2年土木学研究のためアメリカに留学。帰国後は海軍省をへて工部省鉄道局につとめる。のち総武鉄道,北越鉄道,東武鉄道などの技師長となった。昭和2年10月29日死去。75歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。マサチューセッツ工科大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例