李膺(読み)りよう

世界大百科事典(旧版)内の李膺の言及

【漢】より

…このような一派を清流とよび,宦官を濁流という。これに対して宦官は桓帝を動かし,166年に清流の誉れ高い李膺(りよう)(110‐169)ら200人を政治を誹謗(ひぼう)した罪で検挙し,彼らを党人と名づけて終身禁錮すなわち任官権剝奪処分とした。これが党錮(党錮の禁)とよばれる事件である。…

※「李膺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」