村田 正太(読み)ムラタ マサタカ

20世紀日本人名事典 「村田 正太」の解説

村田 正太
ムラタ マサタカ

大正・昭和期の医学者 外島保養院院長。



生年
明治17(1884)年10月5日

没年
昭和49(1974)年12月20日

出生地
高知県

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正6年〕

経歴
大正7年伝染病研究所に入り、梅毒の血清学的研究を続け、村田氏沈降反応を考案、日本の代表的梅毒血清反応として普及した。昭和2〜8年外島保養院院長としてハンセン病患者診療に従事エスペラント普及の推進者で、ドイツ語にも堪能で著書に「医科ドイツ語独習書」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田 正太」の解説

村田正太 むらた-まさたか

1884-1974 大正-昭和時代の医学者。
明治17年10月5日生まれ。伝染病研究所にはいり,梅毒の血清学的診断法の村田反応を考案。昭和2年ハンセン病患者を収容する大阪の外島保養院長となる。隔離収容方式から患者の自治制度に転換したが,特高警察干渉で8年辞任。エスペラントの普及にもつくした。昭和49年12月20日死去。90歳。高知県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例