村田正雄(読み)ムラタ マサオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「村田正雄」の解説

村田 正雄
ムラタ マサオ


職業
俳優(新派劇)

本名
村田 又彦

別名
俳名=芳泉

生年月日
明治4年 2月4日

出生地
東京・芝

学歴
横浜商卒

経歴
明治27年新派劇団に加入し、横浜で初舞台舞踊を藤間藤蔵、義太夫鶴沢友次郎に学び、久しく伊井蓉峰一座の重要な位置を占めていたが、のち神田劇場で女俳優・中村歌扇一座の顧問となった。立ち役を主とし、「金色夜叉」の荒尾譲介や「不如帰」の片岡中将、また歌舞伎劇では「伊勢音頭」の福岡貢や「河庄」の孫右衛門と新旧両面を演じ分けた。晩年は村田正雄一座を組織して松竹合名社に属し、多くの門弟を育てた。

没年月日
大正14年 6月7日 (1925年)


村田 正雄
ムラタ マサオ


職業
俳優

本名
稲葉 章一

生年月日
大正7年 6月7日

出身地
東京

経歴
大正13年6歳から新派の舞台に立つ。戦前新国劇沢田正二郎のもとで少年歌舞伎などに出演。戦後浅草の常盤座を中心に俳優の堺駿二、有島一郎らと軽演劇に出演。昭和20年代末、テレビに活躍の場を移し、NHK、民法で名ワキ役として活躍。女優の笠置シズ子と共演した「台風家族」(フジテレビ)は高視聴率を記録し4年間続いた。テレビ「珠玉の女」「はぐれ刑事純情派」、舞台「たぬき」「鶴八鶴次郎」「人間万事寒翁が丙午」などにも出演、名脇役として活躍した。

受賞
芸術祭最優秀演技賞〔昭和56年〕「たぬき」

没年月日
平成11年 12月31日 (1999年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「村田正雄」の解説

村田 正雄
ムラタ マサオ

明治・大正期の俳優(新派劇)



生年
明治4年2月4日(1871年)

没年
大正14(1925)年6月7日

出生地
東京・芝

本名
村田 又彦

別名
俳名=芳泉

学歴〔年〕
横浜商卒

経歴
明治27年新派劇団に加入し、横浜で初舞台。舞踊を藤間藤蔵、義太夫を鶴沢友次郎に学び、久しく伊井蓉峰の一座の重要な位置を占めていたが、のち神田劇場で女役者・中村歌扇一座の顧問となった。立ち役を主とし、「金色夜叉」の荒尾譲介や「不如帰」の片岡中将、また歌舞伎劇では「伊勢音頭」の福岡貢や「河庄」の孫右衛門と新旧両面を演じ分けた。晩年は村田正雄一座を組織して松竹合名社に属し、多くの門弟を育てた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田正雄」の解説

村田正雄(初代) むらた-まさお

1871-1925 明治-大正時代の舞台俳優。
明治4年2月4日生まれ。24歳のとき,横浜港座で初舞台。おもに伊井蓉峰(ようほう)の一座に属し,新派のわき役として男性的で重厚な役柄を得意とした。2代は甥(おい)の村田高一がついだ。大正14年6月7日死去。55歳。東京出身。横浜商業卒。本名は又彦。俳名は芳泉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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