東儀哲三郎(読み)トウギ テツサブロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「東儀哲三郎」の解説

東儀 哲三郎
トウギ テツサブロウ


職業
雅楽師 指揮者 バイオリニスト

生年月日
明治17年 1月30日

出生地
東京・神田三崎町

学歴
宮内省楽部卒,東京音楽学校(東京芸術大学)〔明治38年〕卒

経歴
幼少から宮内省雅楽部に出仕し、御前演奏をした。音楽学校でユンケル師事バイオリン専攻。卒業後同校提琴科教師となる。大正4年山田耕筰、小松耕輔らと音楽普及会を創設、定期演奏会を開いた。また岩崎家の援助でフィルハーモニー主宰、三越管弦楽団を組織して満州で演奏旅行を行った。10年宝塚音楽歌劇学校の指揮者となり、オーケストラ編成などに尽力、関西音楽界の発展に寄与。晩年毎日音楽コンクール審査員、顧問を務めた。

没年月日
昭和27年 4月20日 (1952年)

家族
祖父=東儀 美濃守清彰(雅楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「東儀哲三郎」の解説

東儀 哲三郎
トウギ テツサブロウ

明治〜昭和期の雅楽師,指揮者,バイオリニスト



生年
明治17(1884)年1月30日

没年
昭和27(1952)年4月20日

出生地
東京・神田三崎町

学歴〔年〕
宮内省楽部卒,東京音楽学校(現・東京芸術大学)〔明治38年〕卒

経歴
幼少から宮内省雅楽部に出仕し、御前演奏をした。音楽学校でユンケルに師事、バイオリンを専攻。卒業後同校提琴科教師となる。大正4年山田耕筰、小松耕輔らと音楽普及会を創設、定期演奏会を開いた。また岩崎家の援助でフィルハーモニーを主宰、三越管弦楽団を組織して満州まで演奏旅行を行った。10年宝塚音楽歌劇学校の指揮者となり、オーケストラ編成などに尽力、関西音楽界の発展に寄与。晩年毎日音楽コンクール審査員、顧問を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東儀哲三郎」の解説

東儀哲三郎 とうぎ-てつさぶろう

1884-1952 明治-昭和時代音楽家
明治17年1月30日生まれ。宮内省雅楽部をへて東京音楽学校(現東京芸大)でユンケルにバイオリンをまなび,卒業後は母校の教師となる。大正10年宝塚音楽歌劇学校の指揮者となり,作曲,編曲にあたり,またオーケストラ編成の充実につとめた。昭和27年4月20日死去。68歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「東儀哲三郎」の解説

東儀 哲三郎 (とうぎ てつさぶろう)

生年月日:1884年1月30日
明治時代-昭和時代の雅楽師;指揮者。毎日音楽コンクール審査員
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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