東国分村(読み)ひがしこくぶむら

日本歴史地名大系 「東国分村」の解説

東国分村
ひがしこくぶむら

[現在地名]群馬町東国分

西国分村の東にあり、東は風呂ふろ(牛池川)をもって総社そうじや(現前橋市)と境する。隣接する村とは入会地をもって境し、土地はおおむね平坦。風呂川は北の村境近くを東流し、東村境辺りで南流する。当地から西国分、総社町にかけては国府の所在地であったと推定され、東国分には国分尼寺跡、東国分から元総社もとそうじや(現前橋市)にかけては国分僧寺跡、元総社には総社跡がある。なお、国分寺跡の東西から縄文土器破片や石器が出土した。国分の地名は国分寺があったことにより、太田道灌状(島原市教育委員会蔵)の文明九年(一四七七)一二月末の広馬場合戦を記したなかに「国分」などとみえる。

東国分村
ひがしこくぶむら

[現在地名]打田町東国分

西三谷にしみたに村の東南に位置し、村内を春日かすが川がほぼ西流する。西は西国分村(現岩出町)、南は中井坂なかいさか・下井坂の両村。「続風土記」は西国分村の項に「古国分寺領の民東西に分れて家居し、国分寺境内の鎮守の神を産土神とせしより二箇村共に別に産土神なし」と記す。当地には方二町を占めた紀伊国国分寺が建立され、古くから開けた地であり、大治二年(一一二七)八月一七日付の紀伊国在庁官人等解案(林家文書)に「国分寺仏聖灯油修理料稲并僧尼布施等、使補近辺之便宜田畠」とあるように、国分寺領とされていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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