東宇喜田村(読み)ひがしうきたむら

日本歴史地名大系 「東宇喜田村」の解説

東宇喜田村
ひがしうきたむら

[現在地名]江戸川区東葛西ひがしかさい三―九丁目・中葛西なかかさい四―八丁目・西葛西にしかさい八丁目など

江戸川河口近くの右岸に位置し、北は長島ながしま村、南は長島二之江にのえ下今井しもいまい桑川くわがわ四ヵ村入会の飛地、西は西宇喜田村。宇喜田は浮田とも記された(須原家文書)。江戸時代初期は西宇喜田村とともに宇喜新田といった。田園簿によると宇喜新田の高は田八三九石余・畑二七一石余、ほかに舟役一二艘分永一貫二〇〇文が課せられている。宇喜新田は小田原北条氏に仕えた宇田川石見守勝種の第三子喜兵衛尉定氏と、その第一子喜兵衛定次の開発とされる。定氏は天文二年(一五三三)品川に生れ、弘治年間(一五五五―五八)小松川こまつがわに移り住み、慶長元年(一五九六)当時、海辺の葦原であった当地を開墾して新田を開いたと伝える(「風土記稿」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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