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「東日本大震災」の意味・読み・例文・類語
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東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生し、最大震度7を観測した。東北地方の沿岸部を中心に大津波が襲った。警察庁によると、23年2月末現在で、死者は1万5900人、行方不明者は2523人。復興庁によると、23年12月末現在で、震災関連死は3802人。東京電力福島第1原発事故が発生し、大量の放射性物質が拡散した。23年8月、同原発の処理水海洋放出が始まった。
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「東日本大震災」の意味・わかりやすい解説
東日本大震災【ひがしにほんだいしんさい】
2011年3月11日,東北地方太平洋沖で起こった巨大地震とそれにともなう大津波によって引き起こされた,戦後日本最悪とされる震災。同日14時46分頃,牡鹿半島沖東南約130km深さ24kmで日本の観測史上最大のマグニチュード9.0という超巨大地震が発生,さらに,15時9分頃岩手県沖でマグニチュード7.4,15時16分頃茨城県沖でマグニチュード7.7と巨大地震が連続的に発生,一連の地震は,三陸沖を中心とする,岩手県沖から茨城県沖まで,幅200km長さ500kmに及ぶ広大な震源域を持つものと推定され,三陸地方をはじめ太平洋岸の各地に大津波が襲い,各地の市町村が壊滅的な打撃を受けた。津波の最高遡上高は約40mに達したところもあると言われる。地震にともなう巨大な揺れ,火災,液状化現象,地盤沈下などによっても大きな被害が各地で発生した。この大津波・地震を一つの要因として,東京電力福島第一原発で大事故が発生。また,東北自動車道をはじめ幹線道路が各地で寸断され,鉄道も東北新幹線をはじめ甚大な被害を受けた。大津波で気仙沼線など太平洋岸の在来線では多数の駅が流出,線路が数十kmにわたって流されるといった事態が起こり,東北地方一帯の交通網が完全に麻痺状態に陥った。菅直人首相は,3月11日14時50分に災害対策基本法に基づき首相官邸内に危機管理センターを設置,15時14分に首相自身を長とする〈平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部〉を設置,ただちに〈災害応急対策に関する基本方針〉を15時37分に招集された関係閣僚会議で発表した。緊急災害対策本部の設置はこれが初めてである。防衛省も同日同時刻に災害対策本部を設置,県知事の要請によりただちに自衛隊災害派遣を決め出動させた。自衛隊の災害派遣出動は,人員約10万6550名,航空機503機,艦船50隻(4月19日現在)の過去最大規模となり,予備自衛官及び即応予備自衛官も招集された。アメリカ軍は,海軍・海兵隊・空軍約1万8000人を投入するトモダチ作戦を展開,被災者の救助・救援活動にあたり,さらに福島第一原発事故への対処で,核兵器対策などを担う海兵隊特殊部隊CBIRFを派遣した。また潘基文国連事務総長は大震災発生直後に緊急記者会見し国連として救援活動に乗り出すことを表明,韓国・中国・ロシアをはじめ救助隊の派遣の申し出が相次ぎ,130ヵ国,30国際機関,670のNGOなどが支援を表明した。しかし,市町村などの行政組織自体が大きな被害を受けたこと,被害地が東北から関東にかけ東日本の太平洋岸一帯という広域に及び,道路など交通網が大きな打撃を受けたことなどが重なり,救援活動は困難をきわめた。政府は,2011年4月,総理大臣の諮問機関として復興構想会議を立ち上げ,創造的復興のための方針作りに着手。同年6月,東日本大震災復興基本法が公布・施行され,内閣に東日本大震災復興対策本部が設置された。7月,東日本大震災の復旧・復興関連経費を盛り込んだ平成23年度第二次補正予算(1兆9988億円)が成立。菅直人政権を引き継いだ野田佳彦内閣は,11月,東日本大震災関係経費11兆7335億円などを柱とする平成23年度第三次補正予算(12兆1025億円)を成立させた。12月には,東日本大震災復興特別区域法が成立。12月9日,復興庁設置法が成立し,震災からの復興を目的として期間を定めて設置される復興庁の所掌事務,組織が具体化され,2012年2月10日,ようやく復興庁が発足,地方機関として岩手・宮城・福島に復興局が設置された。復興庁は震災発生から10年後の2021年3月までに廃止される予定である。初代復興大臣は平野達男(民主党)。復興予算の財源を確保するため設けられた所得税に税額2.1%分を上乗せする復興増税が2013年1月から実施された。国には復興予算の適切な執行が求められている。2012年5月現在,大震災による死者1万5858人,行方不明者3021人(警察に届け出があったもの)。大津波による漁船被害は2万2000隻以上,農地は2万3600ヘクタール以上にのぼる。建物の被害は,2011年4月の警察庁発表によると,全壊6万2112戸,半壊2万5002戸,一部破損19万3921戸。避難生活を余儀なくされた人は最大で40万人以上とされている。とくに甚大な被害を出したのは,宮城県・岩手県・福島県であるが,被害は青森県・茨城県・千葉県・東京都などに及んだ。地震予知を含め,防災対策,災害対策,危機管理のあり方など,これまでの国としての取り組みが根底から崩れたことから,多方面にわたる徹底的な検証が求められている。大震災の被害の全貌の把握も今後の詳細な調査の課題だが,政府は,直接的被害の総額を16兆〜25兆円とする試算を発表している。2013年3月国の中央防災会議は,東日本大震災の被害を踏まえ,〈南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ〉による試算として,将来想定される南海トラフ大地震の被害を死者32万3000人,経済被害想定を最悪220兆円と発表した。
→関連項目アクシデントマネジメント|枝野幸男|NPO|エネルギー政策|外傷後ストレス障害|海洋汚染|柏崎刈羽原発|活断層|環境難民|菅直人内閣|危機管理|緊急災害対策本部|計画停電|激甚災害|原子力安全委員会|原子力災害対策特別措置法|原子力発電|子ども手当|災害救助法|災害対策基本法|三陸沖地震|三陸鉄道[株]|自衛隊災害派遣|地震|地震災害|首都直下型地震|貞観津波|スマトラ沖地震|節電|高木仁三郎|ツイッター|津波|低体温症|TPP|電力システム改革|東海地震|東海村臨界事故|東京電力[株]|東北電力[株]|東北本線|中井久夫|南海トラフ|日本|浜岡原発|東日本大震災復興基本法|兵庫県南部地震|風評被害|放射能汚染|ボランティア活動|山口仙二|吉田昌郎|余震|ラウンドアバウト
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東日本大震災
ひがしにほんだいしんさい
2011年(平成23)3月11日午後2時46分に三陸沖で発生した東北地方太平洋沖地震によってもたらされた大災害。地震の規模はM(マグニチュード)9.0で国内観測史上最大。宮城県北部で震度7を記録したほか福島、茨城、栃木県で震度6強を観測。高さ10メートル超の大津波が東北沿岸部などを襲い甚大な被害をもたらした。死者1万5899人、行方不明者2526人、震災関連死3775人、住宅全半壊40万戸超(2021年3月10日時点)と、阪神・淡路大震災を上回る戦後最悪の災害である。津波で浸水した東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊(おおくま)町・双葉(ふたば)町)は放射性物質を漏出する重大事故を起こし、住民の強制避難は震災後10年以上続く。仮設住宅は最大12万3700戸に達し、被災後10年たっても約2000人が仮設住宅で暮らす。東日本大震災は日本の防災・減災対策、救助・支援・復興政策、ボランティア活動、街づくり、エネルギー・原子力政策などに多大な影響を与えた。
震源は三陸沖130キロメートルの海底(深さ24キロメートル)である。地震の揺れや津波のほか、道路・鉄道・電力・ガス・水道・ダムなどの崩壊、地盤の液状化、地盤沈下で被害は北海道から四国まで及び、大阪でも長周期地震動を観測した。発電施設の被災などで東電管内だけで最大405万戸が停電し、新幹線はじめ鉄道網は広範囲で麻痺(まひ)した。首都圏の
は約515万人(内閣府推計)に達した。東電管内では電力不足となり、突発的停電を防ぐため、地域と時間を限定して行う計画停電を実施した。
津波で電源喪失した東電福島第一原子力発電所(1~3号機)は核燃料冷却が不能となり、炉心溶融(メルトダウン)が発生。1号機と3号機は水素爆発を起こし、原子炉建屋(たてや)の屋根が吹き飛んだ。同事故は世界に衝撃を与え、国際原子力事象評価尺度(INES(イネス):International Nuclear Event Scale)は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」である。政府は原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)に基づいて原子力緊急事態を宣言し、避難指示区域(最大1150平方キロメートル)を設け、住民の強制避難を実施。福島県では最大16万人を超す住民が避難を余儀なくされた。その後、除染やインフラ整備が進み、避難指示区域は徐々に縮小したが、被災後10年たっても帰還困難区域が残る。事故後、福島第一原発と第二原発の廃炉が決まったが、廃炉作業は40年以上かかるとされている。
被災地の救助・支援のため、自衛隊、警察、消防、海上保安庁のほか、全国の自治体から救助・支援要員が派遣され、全国からボランティアが集まった。「トモダチ作戦」を展開したアメリカ軍はじめ世界108の国・地域、国際機関が救援・支援の手を差し伸べた。政府は復興関連予算として2019年度(令和1)までに35兆円超を投じ、財源として復興債発行、政府資産売却のほか、復興特別税(法人税2年間、所得税25年間、個人住民税10年間の上乗せ課税)で国民に広く負担を求めた。
[矢野 武 2021年6月21日]
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知恵蔵
「東日本大震災」の解説
東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震により引き起こされた大災害。最大震度7の強い揺れと国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらした。また、東京電力福島第一原子力発電所が被災し、放射性物質が漏れ出す深刻な事態になった。
この地震は、西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、岩手県沖から茨城県沖にかけての長さ約500キロメートル、幅約200キロメートルの広い範囲が震源域となって起きた。津波は、北海道から沖縄県まで観測され、岩手、宮城、福島の東北3県では浸水高が10メートルを超え、最大遡上高は明治三陸沖地震(1896年)を上回る観測史上最大の40.0メートルだった。(12年1月14日現在、東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ調べ)。
海岸から数キロメートル内陸にまで津波が浸入した地域もあり、建物が根こそぎ流されて壊滅状態になった町もあった。宮城県気仙沼市などでは、津波で倒されたタンクの重油に引火するなどして大規模な火災が発生した。東北3県を中心に広い範囲で停電や断水になり、太平洋側の港湾や沿岸を走る鉄道、仙台空港などが津波に遭ったため、輸送交通網が切断された。茨城県や千葉県でも津波による死者が出た他、各地で地盤沈下や液状化現象が見られ、千葉県浦安市では市域の4分の3で液状化が起き、家屋の傾斜や断水、路面の地割れなどの被害が出た。首都圏では、交通機関が運行を停止し、帰宅困難者が多数発生した。また、最大震度5弱以上の大きな余震もたびたび起きており、関東北部や長野県、新潟県などでも土砂崩れや家屋の倒壊、断水などの被害が出た。
警察庁緊急災害警備本部によると、被害は東北3県を中心に1都1道20県に及び、死者1万5848人、行方不明者3305人。建物被害は、全半壊37万戸超、全半焼281戸など。道路損壊3918カ所、山崖崩れ205カ所などだった(いずれも12年2月10日現在)。また、内閣府は、住宅、工場、店舗、農林水産施設、ガス、水道、道路、港湾、学校、病院などの資本ストックの被害額を約16兆9億円と推計している(11年6月24日発表)。
この地震と津波により、福島県の海岸線に建つ福島第一原発が外部電源や多くの非常用電源設備の機能を失ったことなどによって、炉心を冷却する機能が損なわれた。11年3月12~15日には、6基の原子炉のうち1、3、4号機で水素爆発が起こり、原子炉建屋が損傷。一連の事故で放射性物質が大気中に放出され、国際的な事故評価尺度(INES)で最悪の「レベル7(深刻な事故)」と評価された。これは、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同等レベル。国の原子力災害対策本部は、福島第一原発から半径20キロメートル圏内を警戒区域に、事故発生1年間の積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある区域を計画的避難区域に指定するなどし、約11万人が避難を余儀なくされた。東京電力は電力不足に陥り、計画停電を実施した。
今回の震災では、被災地域が広域にわたり、被災者は近隣地域を中心に全国に避難した。12年1月26日現在、34万人以上が仮設住宅や民間住宅、親戚宅などで暮らしている。自力で避難が困難な高齢者や障害者の死亡率が高かったのも特徴で、避難所や移転先の施設などで亡くなった人も多かった。工場や農地も被災した。被災地域は電子部品や素材の出荷が多く、工場の稼働停止は国内のみならず海外の製品生産にも影響を与えた。放射性物質が飛散した原発事故では、一部の農産物などから国の暫定基準値を超える放射性物質が検出された。日本製品の輸入を停止した国もあり、海外からの旅行のキャンセルも相次いだ。国内の消費者にも、被災地の農産物の買い控えなど、風評被害と見られるような行動もあった。
この震災で、日本は世界各国から支援を受けた。多くの緊急救助隊や医療支援チームなどが日本に訪れた他、在日米軍が最大時には2万人以上による大規模な支援活動「トモダチ作戦」を展開した。ソフトバンクの孫正義社長、男子ゴルフの石川遼選手など、国内外の各界の著名人が高額の寄付や支援活動を実施。日本赤十字社などには5カ月足らずで3000億円を超える義援金が寄せられたが、被災者の手元になかなか届けられず課題を残した。また、今回の震災では、携帯電話やメールがつながらなくなった災害時や、その後の支援活動に、ツイッターなどのソーシャルネットワークサービスが活躍した。発生直後には、大惨事の混乱の中で冷静に秩序を保つ被災者の姿が、海外で報道され賞賛された。
復興に向けては、有識者による東日本大震災復興会議の開催が閣議決定により設置され、復旧にとどまらない復興の構想について議論がされている。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
東日本大震災 (ひがしにほんだいしんさい)
2011年3月11日午後2時46分,牡鹿半島沖130km,深さ24kmを震源とするマグニチュード9.0の地震(東北地方太平洋沖地震)とそれによって起きた津波による災害。地震が放出したエネルギーは阪神・淡路大震災の約1400倍。宮城県栗原市で震度7のほか,宮城・福島・茨城・栃木の各県で震度6強を観測した。津波は宮城県女川(おながわ)町で17.6m,津波が陸地斜面を駆け上がる遡上高は宮城県石巻市で39.7mを記録し,1896年の三陸沖地震のそれに匹敵する(浸水面積は443km2)。太平洋プレートが日本列島をのせるプレートの下に沈み込む境界で起きた地震で,宮城・岩手・福島の3県を中心に死者・行方不明1万9131人(2012年2月末現在),避難者47万人(最大時),家屋全半壊33万戸以上に達した。道路・鉄道などの交通網,電気・ガス・水道・通信などのライフラインが破壊され,漁港・漁船などは壊滅的な被害を受けた。当日は首都圏(東京は震度5強)でも約500万人の帰宅困難者が生じ,千葉県浦安市など液状化被害が出た都市もあった。一連の災害のなかで最大のものは福島原発事故であった。
執筆者:編集部
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