長野県東部、小県郡(ちいさがたぐん)にあった旧町名(東部町(まち))。現在は東御(とうみ)市の北部を占める一地区。1956年(昭和31)田中町と禰津(ねつ)、和(かのう)の2村が合併して成立。1958年滋野(しげの)村を編入。2004年(平成16)北佐久(きたさく)郡北御牧(きたみまき)村と合併、市制施行して東御市となる。旧東部町は、北東部で群馬県に接し、上田(うえだ)、小諸(こもろ)両市の中間に位置する。旧町域は湯ノ丸山や烏帽子(えぼし)岳南麓(ろく)の火山灰土壌で緩やかな斜面をなし、その末端は千曲(ちくま)川で終わる。川に沿ってしなの鉄道と国道18号が走る。また、山麓部には、上信越自動車道が走り、東部湯の丸インターチェンジがある。高速道路と並行して、軽井沢、小諸、上田を結ぶ浅間(あさま)山麓広域農道(通称浅間サンライン)が走り、沿道は住宅地となり、大型店が進出している。また、浅間サンライン沿いは巨峰種のブドウやリンゴのほか、特産のカシグルミの畑地が多く、また工場の進出もみられる。近世は北国街道(ほっこくかいどう)が通り、田中宿、海野(うんの)宿が置かれた。海野宿は旧態をよくとどめ、町中を堰(せき)が流れ、出桁(でげた)造り、海野格子、卯建(うだつ)などのみられる民家が並び、宿場・養蚕町として重要伝統的建造物群保存地区に選定(1987)されている。国指定史跡に戌立石器時代住居跡(いぬたてせっきじだいじゅうきょあと)がある。江戸初期の民家である春原家住宅(すのはらけじゅうたく)は国指定重要文化財。湯ノ丸山南東麓から群馬県境の地蔵峠を越えていく山道沿いには約100体の観音石仏(百体観音)があり、鹿沢(かざわ)温泉(群馬県)へ抜けるドライブコースとなっている。峠付近は湯ノ丸高原で、レンゲツツジの群落やスキー場があり、上信越高原国立公園の一部。
[小林寛義]
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