東雲節(読み)シノノメブシ

デジタル大辞泉 「東雲節」の意味・読み・例文・類語

しののめ‐ぶし【東雲節】

明治後期の流行歌名古屋娼妓しょうぎ東雲の脱走事件を風刺したものとも、名古屋旭新地の東雲楼の娼妓ストライキから生まれたともいわれ、演歌師によって全国に広まった。

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精選版 日本国語大辞典 「東雲節」の意味・読み・例文・類語

しののめ‐ぶし【東雲節】

  1. 明治時代の流行歌。歌詞の中の「シノノメノ ストライキ」が曲名となった。その起源は明治三一年(一八九八)ころ名古屋の娼妓佐野ふみ(源氏名、東雲)が楼主脅迫に堪え切れず、米人宣教師モルフィ(U.S.Murphy)の家に脱走した事件を風刺した歌。名古屋の遊郭旭新地の東雲楼の娼妓のストライキから生まれたからとも、熊本の二本木遊郭の東雲楼のことをうたったからともいうが誤りである。演歌師によって全国的に広がった。ストライキ節

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東雲節」の意味・わかりやすい解説

東雲節
しののめぶし

明治の流行歌。作詞・作曲者未詳。歌詞のなかで「東雲のストライキ」と歌うため、『ストライキ節』ともいう。1900年(明治33)に救世軍による廃娼(はいしょう)運動が盛り上がり、大審院判決内務省の取締規則によって、娼妓(しょうぎ)の自由廃業は支持された。そのころ、東雲と名のる名古屋の娼妓がアメリカ人宣教師モルフィの援助により、楼主に勝って自由解放の身となった。この一件が歌に託されたといわれている。「何をくよくよ川端柳」と歌い出す歌詞は、都々逸(どどいつ)でも周知のポピュラーなもので、『鉄道唱歌』の後を受け、1900年から日本各地で流行した。

[倉田喜弘]

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