松坂忠則(読み)マツサカ タダノリ

20世紀日本人名事典 「松坂忠則」の解説

松坂 忠則
マツサカ タダノリ

大正・昭和期の国語学者,児童文学者 カナモジカイ理事長;青少年文化の会理事長;元・産業能率短期大学教授。



生年
明治35(1902)年1月20日

没年
昭和61(1986)年3月2日

出生地
秋田県

学歴〔年〕
秋田県立工業講習所〔大正6年〕卒業

経歴
教育普及のためにはカナ文字が必要としてカナ文字運動に傾倒。昭和2年「カナモジカイ」本部員となり、カナモジ・タイプライターの組織、漢字制限の方法、カナヅカイのあり方などの研究に従事し、23年から59年まで「カナモジカイ」理事長を務めた。この間25年小・中学校国語教科書の編集に携わり、31年から国語審議会委員。38年から産業能率短大教授、ほかに「青少年文化の会」理事長も務めた。著書に「カナヅカイ論」「国語国字論争―復古主義への反論」「現代表記と文章技術」、児童文学短編集「火の赤十字」「朝雲のように」「山の王者」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松坂忠則」の解説

松坂忠則 まつさか-ただのり

1902-1986 大正-昭和時代の国語学者,児童文学者。
明治35年1月20日生まれ。昭和2年カナモジカイにはいり,漢字制限の方法などを研究。23年カナモジカイ理事長。国語審議会委員,産業能率短大教授,青少年文化の会理事長などをつとめた。昭和61年3月2日死去。84歳。秋田県出身。秋田県立工業講習所卒。著作に「カナヅカイ論」「火の赤十字」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android